1.すべてを観終えて、「少女たちは傷つきながら、夢を見る」というタイトルが痛烈に突き刺さった。
“彼女たち”は、自らの夢を追い、それを達成するために必要な「喪失」に対する「覚悟」が半端ないと思えた。
文字通り「身を削りながら」彼女たちは、ステージに立ち続け、笑顔を見せ続けているということを、このドキュメンタリー映画は想定を超える濃密さで、ファンであるかどうかなど全く関係ない次元で、観ている者にぶつけてくる。
今をときめくアイドル達の等身大の姿、なんて言い回しが非常に生温く思える。
そこに映し出されていたのは、"アイドル”という人生を生きる少女たちの「生身」の姿だった。
ドキュメント映像の大部分において彼女たちは笑っていない。慟哭し、怒り、憔悴している様が延々と羅列される。
前田敦子は払拭できない孤独感の中で倒れ、大島優子は凛とした立ち振る舞いのすぐ裏側で打ちひしがれ、髙橋みなみは次々に倒れていく仲間たちすべてを引っぱり満身創痍で突っ走る。
華やかな大ステージの舞台裏は、「戦場」という比喩が決して大げさではないほど悲愴感と混沌が渦巻いていた。
“アイドル”という「綺麗事」を大衆に売る彼女たちが、もっともその生き方が「綺麗事」ではないことを知っている。
汗にまみれ、涙にまみれ、世間のおびただしい視線にまみれ、どのようなスタンスで、どのようなプロセスを経たとしても、“センター”に立つ者が「正義」であるということを、全員が本質的に理解している。
汗も涙も悲しみも怒りも、時にはスキャンダルまでもが自分自身の「売り」になるということも、
震災で荒れた被災地を巡ることも“大人たち”の戦略の一部だということも、
自分たちの存在のすべてが“つくられたもの”だということも、
そしていつかはそれに終わりがくることも、
すべて、彼女たちは知っている。
そんな「リアル」さえ、彼女たちは踏み越えて堂々とステージに立ち続けているのだ。
大人たちの思惑や、世間の蔑みや批判なんてどうでもいい。
訪れた被災地の子供たちが、一瞬であれ悲しみを忘れ、心から喜び熱狂している。
彼女たちにとって、その“事実”以上に価値あるものなどきっとない。