3.作品の内容も重要だけど、気にしてる(邦画は特にだけど)ポイントは「1つ」だけ。
それは…「映画のスケール感」だ。
あ、ストーリーのスケールって意味じゃなく、テレビドラマ的なレベルじゃなく、ちゃんと映画っぽいスケールなのか?…そんな、映画の規模を感じさせるのが…なんつーか、うん。
そこは無いと、せっかく「映画館に来てるのに…」って気持ちになっちゃうんだ。
だから「カメラを止めるな!」も(話や構成は良かったけど)あまりハマれなかった……それを想い出したんだ。
今日は平日だからか人が凄く少なくてビックリしたけど…待機しながら考えてるのは「観終わった後の昼飯の事」だが……もう「一蘭」のコクのある豚骨ラーメンにするか、「コメダ珈琲」のボリューミーなサンドウィッチにするか悩みながら。
映画館の中じゃあまり人が居なかったけど…隣りが老夫婦でニコニコと会話しながら鎮座している。
いや、仲良い雰囲気はいいんだけど…始まった予告編の時にも、かなぁぁぁぁぁり大声で喋っとる。
心の中で「こんな人らに怒るのも嫌だしなー…」って、もうヤな予感しかしないけど…始まった映画を観る。
取り敢えず……映画の上映中、俺がずぅぅぅぅっと笑ってた。
監督の「寸止め」演出が素晴らしく、争い場面はユーザーには抑えた演出で展開せず、極力排除されてる。
例えば、言い争いのシーンとかは遠くから見せるけど、言葉でのやり取りでの争いは見せない、みたいな?…ある意味「ああ、この感じが争いの無いさかなクンっぽいなぁ…」と思う演出だったな、と思った。
んで、予告編で思ってた「のんが男を演じる」ってのは…あくまで「男っぽい」だったね。
なんつーか、のんの女の子らしさというか、キュートさは何も隠さないままで…単に男の衣装を着せてる…そこも素晴らしく、例えば喧嘩を止めるシーンとかでも「女がいる!」ではなく「女の子(っぽい男)がいる」ので、殺伐さが(嫌でも)抜けるから、絶対に喧嘩になんかならない。
そこをよく理解してる、監督の優しい演出だった。
映画に感心しながらも、隣りの老夫婦は話をしながら、さも可笑しそうに笑ってる。
妙に、(何故か)それが嫌じゃなかった。
例えるなら、かぁちゃんと一緒にTV観てる感じっつーか…喋ってる内容も映画の内容だったし、この映画自体に「そんな人すらも受け入れる度量のようなもの」も感じてしまった。
まぁ、切なかったのは…周囲でも変わり者扱いを受けている「ギョギョおじさん(さかなクン)」の今後?…アレは想像したら本当に切なくなってきた。
いや、尼崎にも…過去、小学生低学年の時かな…?
凄く楽しい変わり者のホームレスも居てさ?最初は怖かったけど色んな遊びを教えてくれた。
その人を「子供たちは皆で大好きだった」のに、警察や父兄、市役所のオッサンらから強制排除されて、尼崎から消えたって事もあった……それも思い出しちゃった。
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そして俺は…凄く釣りが好きなので、過去から「海」も「魚」も好き。
釣りもだけど…小学生か中学の時に、修学旅行で観に行った水族館を想い出した。
階段で囲むような巨大な円柱で、異常ぉぉぉぉぉに大きな水槽に、釣りの対象にしたかった(日本の)魚たちがキラキラいろんな色を放ちつつ泳いでたんだ。
それを下から見上げて、憧れの視線を向けた光景の素晴らしさがあった。
「ああ、俺は水族館に憧れた時期があったな…」――なぁんてのを、ふと想い出した。
俺のお袋もアホなので、姉からお袋の葬式の時に聞いたんだけど…俺が中学卒業したら「働けないかな?」と、勝手に須磨の水族館へと「ウチの子は、ここで就職できませんか?」と話に行ったらしいのも思い出した。
そんな状況なので、隣りの老夫婦の会話や笑い声にムカつくどころか…切ない過去を想起させてくれた事が、有難くて有り難くて…もう。
ストーリーに関しては全部を述べるのはアレだけど、言えるのは…ひとつ。
のん演じるミー坊は、関わった人間を幸せにさせる。
そういう人間って、本当にいいなーなんて考えつつ…「今からでもなれないかな…」と映画を観ながらニヤニヤしてしまった。
そうだ、隣りの老夫婦と同じように…俺も笑っていたんだよな。
映画が終わってライティングされた中、皆が劇場外に出ていく。
俺は、老夫婦の出ていくまで席を立たずに、意味も無く微笑みながら見送った。
うん、上手く言えないけど…幸せな気持ちのままで。
よし、今日の昼は「一蘭」でもなく「コメダ珈琲」でもなく、うん。
家の近くの「回転寿司」にしよう。
今日は、コレでいい。