61.今年(2024年)は、日本の時代劇文化にとっては分岐点となり得る一年だった。
何と言っても最大のトピックスは、アメリカで真田広之が手掛けたドラマシリーズ「SHOGUN 将軍」が、エミー賞受賞をはじめ世界を席巻したことだろう。勿論、「SHOGUN 将軍」自体は日本産の時代劇ではないけれど、“時代劇”を経て俳優として大成した真田広之が、多大な熱量とこだわりをもって創り上げた作品が、国境も時代も越えて、人々の心を掴んだことは、やはり“時代劇”としての快挙だと思う。
一方日本国内でも、「十一人の賊軍」や、未見だけれど「侍タイムスリッパー」など意欲的な時代劇作品が制作され、評価を得ていることは、長年新旧の“時代劇”を好んで鑑賞してきた一映画ファンとしても嬉しい。
そんな折、秋深まる深夜、古い時代劇を観ようと、黒澤明監督の「蜘蛛巣城」に行き着く。
ウィリアム・シェイクスピアの「マクベス」を、日本の時代劇に置き換えた本作は、まさにシェイクスピアの舞台劇そのものだった。(まあ、シェイクスピアの舞台なんて観たコトはないけど)
自然風景の描写の中を舞台劇のように幾度も行き交う演出や、三船敏郎をはじめとする俳優たちの意図的なオーバーアクトがとても印象的だった。独特のテンションやリズムは、強烈な違和感として観る者を引き付け、物語の主人公同様に異世界への引き込まれたような感覚に陥った。
三船敏郎演じる鷲津と、その妻・浅茅を演じる山田五十鈴が、掛け合うシーンは特に舞台劇のようであり、「能」の表現を取り入れた演出も融合し、異様な空気感を醸し出していた。
なかでも、山田五十鈴の風貌と演技が「奇怪」そのものであり、彼女の強硬な野心を秘めた助言と誘導が、主人公を破滅へと導く展開がとても不気味だった。
黒澤明監督らしい、自然のロケーションを最大限に用いて映し出される映像世界は、モノクロの古い映像でもありながらもその優雅さと豪華さを存分に感じさせる。
白眉だったのは、三船敏郎演じる主人公らが山林を馬で駆け巡るシーン。雨、風、霧といった自然的要素を画面の中に躊躇なく盛り込み、人物の心理を巧みに表現すると共に、当時の撮影技術の高さと俳優たちの力量を如実に感じさせてくれる。
ただし、その一方で、場面展開が鈍重で、深夜帯の鑑賞時間において瞼が重くなってしまったことも否定できない。
黒澤明らしい唯我独尊的な自然描写や独特な空気感が、ストーリー展開の停滞として感じてしまったのだろう。自分自身、もう少し体調も含めて鑑賞環境を整えて鑑賞すべきだったなと反省している。
とはいえ、“時代劇”の復権の兆しは嬉しい限りだ。今の時代に日本国内のみで、黒澤作品レベルの潤沢な製作環境を得ることは難しいだろう。しかい、逆に今の時代だからこそ、真田広之が成し遂げたように、海外資本を上手く利用して理想を実現するプロセスがあることも事実だと思う。
熱量に溢れた“時代劇”が再び量産されることを望まずにはいられない。