15.アメリカ映画では、いつも正義と勇気がワンセットになっている。正義を行なう勇気を賞揚する。正義の教育的発展とでも言いましょうか。頭だけの正義派だったシシー・スペイセクが、ナマの現実の中で地に足をつけるまで。「たとえ子どもの教師や隣人が黒人になっても大丈夫ですか」とウーピーが彼女に問う。公園で追い出されたウーピーについて、スペイセクは「何も彼女の子どもを連れてったわけじゃないのに」と言っていたのだった。こういう描きかた、うまいね。さて、正直に告白すると、迫害する側の集団を見てると、変にワクワクしてきてしまったんだ。彼らの意見にまったく同意しないにもかかわらず、会場のシーンなんか、シンボルの旗が垂れてて皆が高揚してて、なんか『意志の勝利』を観たときのワクワク感と似たものが生まれてくる。人間の集団ってものの基本がきっとここにあるんだろう。攻撃すべき他者がはっきりとあって、皆の気分が一つになっていると、その集団の意見とは関係なく魅力的に感じられ興奮できてしまうんだな。本当に恐ろしいことだが、それを体験できたことが私にとってのこの映画の価値。 【なんのかんの】さん [映画館(字幕)] 6点(2010-09-23 10:51:12) |
14.人種差別モノって案外作りやすいようですね。もっと考えさせられるような内容にしてほしかった。 【色鉛筆】さん [CS・衛星(字幕)] 3点(2008-08-23 07:33:58) |
13.「正義」やら「権利」は、初めからこの世にあったのではない。重力がニュートンに発見されるまでなかったように、遺伝子がメンデルに発見されるまでなかったように。「正義」や「権利」は多くの人々によって「発見」され「勝ち取られる」まで、この世に存在しなかった。つまり、「正義」や「権利」はその性格上、人為的・人工的な側面をもっているのだ。白人と黒人は、同じ前提を共有しながら違う結論をもっているのではなく、違う前提を互いにもっているから違う結論に至ったに過ぎない。そしてこの映画が描くのは、黒人の側の前提が勝利へと進む瞬間である。抑圧されていた黒人(ある意味敗者)が勝者へと変わり、勝者となった黒人の立場が道徳的に「正義」となる。僕たちはこの道徳の一揆が成功した後の世界に住んでいるのだ。ニーチェの洞察は恐ろしいほどにあたっている。体罰にたいし「基本的人権」を訴える人は、「基本的人権」を既成概念にするためにどのような戦いがあったのか、この映画を見て考えてみては? |
12.家族で靴をプレゼントするシ-ンとか何気ない描写もイイ。ロックは出てこないけど(ロックとドラッグが同一視されていたこの時代、比較的上流家庭を舞台にしたドラマとしては当然かもしれません)、ゴスペルの真髄が味わえるようで良かったです。 …日本での「反差別運動」やら「ウーマンリヴ」にはなにやら胡散臭いものを感じてかなり閉口しますが、「黒人差別」の本場で作られたこの映画には素直に感動できました。「差別」と「原因があって嫌われる」事とは全然違う。この点、日本の「運動家」さん達は根本的な勘違いをしてるみたい。 【番茶】さん 7点(2004-04-24 02:22:25) |
11.『映画』としてクソ。せっかく1950年代という時代背景なのに、当時の主流音楽(ロックンロール等)は一切使われていないし、50年代を感じるには便利な車やヘアースタイルなどに工夫を感じなかった(バックトゥザフューチャーを見習え!)。ドキュメンタリーとして撮れば良かったものの、脚色しすぎて過剰演出になってしまっている。歴史の教科書を読んだ方がよっぽどましです。 |
10.俺は差別問題に全く興味がないんだな、ってことに気付いた |
9.ウーピー・ゴールドバーグは、こういう静かな力を演じられる女優なのだと、改めて感嘆した。非常に淡々と、差別の実態を描き出している。ミリアムは熱心な差別反対者ではない。ただ、おかしいと思ったから、ただ、ついでに車に乗せてあげたほうが都合がいいと思ったから、という、本当に単純な善意なのだ。その善意は育ちの良さ・裕福さに起因することが、さりげなく冒頭で示される。黒人女性に理解を示すことを、夫をはじめとする白人社会から非難され、攻撃されたときに、はじめてミリアムは差別に気付く。そして積極的に運動に加担するが、夫には内緒にする。一方で、バス・ボイコットをして長い距離を歩くことを決心し、そのことが大きな力になって白人社会を揺さぶるのだと知っているオデッサは、ひたすら歩く。決して声高に主張するわけでも過激に運動するわけでもない。そして自分たちの側に踏み出してきた、善意あふれる奥様が、攻撃を受けることを心配する。そして、最初バス・ボイコットなんかしても何も変わらないと思い、母親が家事をできなくなったためにとばっちりを受けていると不満だった高校生の少女が、自身の危機と弟の無抵抗の抵抗の中から、ようやく抵抗運動の意味を学ぶ。黒人の中にも温度差があり、白人の中にもおかしいと思いながら行動できない人々がいる。いじめや差別の、いつもある構図ではあるが、それをきちんと直視しながら、3人の女性が、丁寧に愛情を持って描かれている。 【ルクレツィアの娘】さん 8点(2003-10-24 21:28:34) (良:1票) |
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8.痛くなる・・・。現実を受け止めながら誇りを持って生きてるウーピーの力強さ、流されず信念を持って目を開こうとしてるシシー。はじめの一歩の勇気がどれほど難しく、そして素晴らしいことか思い知らされました。 【桃子】さん 8点(2003-09-12 18:05:47) |
7.きわめて日常的な物語の中から差別を告発する姿勢が素晴らしい。ウーピーゴールドバーグの抑えた静かな演技が圧巻。 【ひろみつ】さん 9点(2003-06-13 22:48:50) |
6.黒人側から見るとムカツク叔父さんも、姪に接する時はトビキリにこやかな叔父さんなわけで。そんなある意味普通の人々があそこまで醜悪に人を差別する姿。日本人も何気なく「普通に」アジア人蔑視をしているわけで。対岸の出来事は決してないはずなんだけど、果たしてどれだけの人がそのことに気づいているんだろう・・・ 【Kei】さん 10点(2003-02-26 17:42:09) |
【cocooon】さん 9点(2003-02-18 10:18:30) |
4.小さい映画かなと思ったんですが、最後まで観て心に響く作品でした。シシー・スペイセク演じる奥様は、決して良い奴じゃないし、最後まで好きになれるキャラじゃなかったんですが、その小さな“行動”が、当時は大きな抵抗だったのかと考えさせられた作品。 【☆】さん 8点(2002-04-28 01:36:20) |
3.人種差別を題材にした作品は多いけど、この作品ほど引き込まれた物は無い。昔は黒人が当たり前のように白人宅で家政婦をして、何をするにも1歩下がっていたという事実。身につまされます。 【ポンコ】さん 8点(2001-11-18 01:09:15) |
2.この映画に出てくる60年代の黒人によるバス・ボイコット運動は、「白人専用」の席に座り、罵声や警察犬に脅されながらも、頑として席を立たなかった一人の黒人女性から始まる。罵倒の只中、頭をもたげ、じっと正面を見ていた瞳の静かな光を想うとき、差別を無くすのは、こうした日常の一こま一こまでの、一人一人の人間の勇気と決意なのだということを思い知る。 【ぶんばぐん】さん 9点(2001-01-29 09:14:24) |
1.この映画で教えられたことは、”人を差別する人間の表情は、もっとも醜い姿をしている“と言うことだ。 【イマジン】さん 9点(2001-01-27 00:39:40) |