2.《ネタバレ》 ケイト・ウィンスレットのどうしようもないくらいの中肉中背具合に、
あのぼろぼろのブロンドの巻き髪が包む疲れきった表情、
昔は美人であっただろうという、いかにも田舎の年増の女具合が絶妙なんだな。
それというのも、あの冒頭の寝起きに息子と一緒に鏡に映り込んだ姿が、その息子との対比もあってか、
やけに浮き彫りとなって、ああ正にそれだと思わせる。
そしてジョシュ・ブローリンは、髭を蓄えて登場する最初は、
いかにもアウトロー感があるが(登場の仕方が好い)、
別人が演じている回想を抜きに想像しても、いかにも堅く誠実な男を思わせる匂いを放ち、
また髭を剃り落とし、髪の毛も整えれば、正にその通りの男になる(その登場も好い)。
しかもだ、てきぱきと料理を作り、タイヤの交換をし、日曜大工仕事までも難なくこなす。
そしてまるで実の息子のようにヘンリーと打ち解ける。これらの描写がもう絶妙なんだな。
ジェイソン・ライトマンは、こういう人物が放つ、その人物の匂いみたいなもんを的確に導き出し、
そして切り取ることに非常に長けているんだろうな、きっと。
そのライトマンの冴え渡り方は、別に人物描写だけではなくて、冒頭のタイトルバックからの、
横移動でのあのボロ一軒家の見せ方ではっきりわかる。
この家で起こる何かというサスペンス性が確実にある、あのショットは。
的確なショットと的確なモンタージュは映画の「リズム」を作る。
「リズム」を刻めば映画は兎に角弾んで面白い。
3人でピーチパイを作るシーンの得体の知れない感動は後々になり再び呼び起こされる。
アデルの「A」、時間を越えて、必然か偶然か、想いは伝わる。
これが映画の「リズム」だと思うのだ。
これはアメリカ映画それもメロドラマの正統な継承であるというところだろうか。
更には繊細な視線劇でもあって、特に息子ヘンリーの視線、
大人への憧憬が繊細かつ見事に描かれているわけで、
というかヘンリーが軸なわけで、まぁ好い。
好いというか、もう感嘆した。素晴らしい。