304.《ネタバレ》 尊厳死の是非だとか問責だとか断罪だとか、そんなのは私の中では全く論点じゃない。そんなものはあくまでも、副次的なものなんじゃないだろうか。そんなものは本来の主題に従属する付随的なものでしかないんじゃないだろうか。物語の終章はいつだって、それまでの章に全て隠されている。終焉なんて、過程に追従する従属物でしかない。大切なのはいつだって過程じゃないか。これは、苛烈で凄絶で凛然たる、そして純然たる、至高のラブストーリーじゃないか。正直なところ、私は愕然としてしまった。記憶を総動員しても無理だった。私は多分、ここまで高みに達してしまったラブストーリーを他に知らない。 【ひのと】さん [DVD(字幕)] 10点(2005-12-28 22:10:09) (良:2票) |
303.何よりも驚いたのが、音楽もイーストウッドが担当してること。 【アルテマ温泉】さん [DVD(字幕)] 7点(2005-12-18 22:37:12) (良:1票)(笑:1票) |
302.《ネタバレ》 イーストウッド、この人は一貫してアウトローを撮り続けてきたから勧善懲悪ではないもののハリウッド的予定調和を部分的にでもとりいれてきた。しかしハリウッドでのしっかりとした位置を確保した後、いつからか神の存在しない理不尽な社会を描きだし、前作『ミスティック・リバー』において予定調和は完全に崩れ去った。そして今作『ミリオンダラー・ベイビー』においてさらなる残酷な社会を炙り出す。貧しくとも健気に生きる家族は映されず、貧しさゆえに貧しさを利用する、ずるく心の貧しい家族が映し出される。やる気だけではけして報われないことを練習生が見せる。実力者は金のなる木として消耗させられ、欲張らず懸命にがんばった女にも神はその代償を与えない。常にどこかで神の存在が絶対条件であったハリウッドに対する挑戦状ともとれる今作にアカデミー賞を与えたハリウッドは懐が大きいのか、それともバカなのか。ボクシングがいかに危険なスポーツであるかを想像させる迫力のファイトシーンを見事に見せてくれたヒラリー・スワンクの受賞はうなずけます。 これまで自らの体を切り刻まれ、撃たれ、痛めつけられてきたイーストウッドが応急処置の天才というのが面白い。しかし応急処置の天才は応急処置の不可能な究極の傷を負う。愛する者を自ら殺すという究極の傷を。そしてフランキーは消え去る。究極の傷を負ったフランキーはどこに行ったのだろう。究極の傷を描いたイーストウッドはどこにゆくのだろう。観た後すぐにもう一度観たい衝動にかられた。 【R&A】さん [映画館(字幕)] 8点(2005-11-29 13:05:44) (良:2票) |
301.流れに逆らうようですが、微妙な作品だと思います。 自分も、エンドロールはおろか、明かりがついても劇場の椅子からしばらく立ち上がれなかったのは確かですが、それは、ストーリーの物理的な「重さ」から来たもので、「感動の波に飲まれて立ち上がれなかった。」ってのとは少し違う気がしました。 「あとは各自で処理するように。」と言って渡された大きな漬物石を抱えて、しばし茫然自失としたという感じです。 映画の終わり方としては,反則技に近いかも知れません。 肝心のボクシングのシーンはかなりお座成りで、イーストウッドのトレーナーとしての手腕や、ヒラリーのボクサーとしての圧倒的な強さに説得力のないまま簡単に成り上がってしまうので、その部分で一喜一憂する面白味がありませんでした。 話の顛末から鑑みて、前半の「生」の輝きをもっともっと眩しく描くべきだったんじゃないかと思いました。 ストーリーにメリハリが足りなかった気がします。 更に、ジムの連中を含め登場人物のほとんどが捨て駒で、モーガンの役どころにしてもどこか中途半端で、ストーリーの中での確固たる存在理由が希薄だった気がします。 主人公二人のラブストーリーという側面もありますが、はじめは断っていたトレーナーを結局引き受けた心情の変化が曖昧だったりして、クッキリとした輪郭が見えて来ません。 命の尊厳についてもひとつの答えが提示されているものの、悲壮感のある安いメロドラマ以上のパッションは感じませんでした。 良く言えば、泥臭くて不完全な人間臭いドラマと言えるかも知れないけれど、個人的には「傑作」とは言いにくいです。 【Beretta】さん [映画館(字幕)] 7点(2005-06-14 03:52:04) (良:2票) |
300.僕もやましんの巻さんと同様にフランキーとマギーの関係は恋愛そのものであり、同時にそれを超え出たものであると感じた。「自分を守れ」「タフなだけではダメだ」「相手の逆へ動け」、、、ボクシングにおけるフランキーの信条こそが彼の美意識としての人生を物語る。しかし、そんな彼の孤高さは、孤独と等価だ。フランキーとマギーは孤独が結びつける精神的な関係であると共に、トレーナーとボクサーというボクシングを通じた絆によって、一種の肉体的な関係をも共有する。僕らはそこに通常の恋愛における激しさやメロウさとは違う、揺るぎない生の勁さ(つよさ)、身体性に基づく深い関係を見出すのである。 2人は精神的な恋愛関係であると共に、身体的とも言える強い結びつき、生の実感を共有する。だからこそ、マギーはフランキーによって死に至らしめられることを望み、最終的にフランキーはマギーに対してタオルを投入できたのである。 スクラップがケイティに語り聞かせる。彼らがどう生きてどう死んだか、それが2人の物語として語られてこそ、関係を生きるという実感、可能性、そのリアリティが初めて強調される。僕はそこにこそ、この映画の生の強度を強く感じる。僕らにとっての主体的な生とは何だろうか?主体的な生とは主体的な死にも繋がる。今、日本には年間3万人の自殺者がいるが、彼らは主体的に死を選び取っているのだろうか?正直言って僕には分からない。僕には所詮「生きる」意味すらも実は分からないのである。分からないことは分かるし、そのことを意識する限りにおいて、分からないことのリアリティを感じることができる。それだけなのである。この映画を観て感じるリアリティも逆説的な生への実感という意味で同様かもしれない。最後に、、、この映画の陰影ある映像こそ、クリント・イーストウッドの「いかがわしい場所で人間の道を極める」意志そのものだろうと、僕は思うのである。 (追記)この映画のラスト、、、「人間の宥め難い不遇の意識に対する水のような祈りとして」、生きる努力に対するひとつの許しとして、タオルは投げられたのだと僕は思う。ちなみに行為としてのタオル投入は、闘いの放棄という意味しかない。通常、セコンドは闘者の直接的、間接的(肉体的)意志を感じ取り、またその声を聞き、タオルを投入する。その際、セコンドは闘者とリングを共にしているのだ。 【onomichi】さん [映画館(字幕)] 9点(2005-06-04 20:39:29) (良:2票) |
299.《ネタバレ》 これはSTYX21も書かずにはいられない(含み笑)。イーストウッド、期待を裏切らないですね。相変わらず理不尽で受け入れ難い現実を描きつつも、しっかり心に響く作品を撮ってます。ロッキーが、エイドリアンのため、自分がゴロツキでないことを証明するために闘ったのと同様に、マギーは家族のため、自分の存在を確認するために闘った。その結果、闘い抜いたロッキー、潰えたマギー。しかし、これが理不尽な現実。エイドリアンとの愛を得たロッキー、家族から見捨てられたマギー。これも理不尽な現実。そして、人生のリングで「ファイディング・ポーズ」をとれなくなったマギーに「タオル投入」したフランキーには賛否両論あるだろうが、「試合」を続行するか決めるのは、ボクサーとセコンドの意思であって、「観客」や「レフリー」が続けろと言うことはできない。フランキーとしては、ブーイングされても、もはや闘うことができないボクサーを「見殺し」にすることはできなかったのだろう。これも理不尽な現実。「もし、リングに上がってなかったら・・」、長く生きられたかもしれない。が、マギーに何が残ったというのだろう。少なくとも、リングに上がったことで、フランキーと共に闘ったという証が得られたことは確かなはずだ。 最後に反則したチャンピオンへ、「アホンダラー・ベイビー! バシッ!(パンチ一発)」 チャンピオン:「うっ・・ドサッ(倒れる)・・・・」 「ザマミロンダラー・ベイビー!」 (←これを書かずにはいられなかった?(ニガ笑)。イーストウッド同様、期待?を裏切らないアホンダラー・ベイビーのSTYX21でした(ニガニガ笑)。相変わらずくだらないネタですが、これも理不尽な現実です(自ら失笑)。マギーがレモンパイでなく、ロッキーのように生卵を飲んでたら、あのパンチでチャンピオンをKOできたはず・・と思ってしまったのは、勝手な妄想です(自ら嘲笑)。) *一部、他レビューワーの方の言い回しを「オマージュ」させて頂きました、ご了承下さい・・・。 【STYX21】さん [映画館(字幕)] 7点(2005-06-04 12:54:04) (笑:2票) |
298.《ネタバレ》 何ともやりきれないラストではあるのだが、感動も並ではない。しかも爽やかな余韻さえ感じられる。この矛盾したような感覚はなぜなのだろう。不幸な生い立ちの中、唯一尊敬できる人間にめぐり会え、そのボスの教えを守りボクシングに人生をかけるマギー。「自分を守れ」。努力は報われ、チャンピオンと人生の勝利に手が掛かりかけたが、不運が彼女を襲う。エディは失明した最後の試合にこだわりがあり、フランキーは娘や宗教との関係にこだわりがある。マギーは母親との確執とこのまま年齢を重ねることへの葛藤がある。それぞれが持つ苦悩は、人間としての尊厳をどう守るのかと言う、自分自身との戦いでもある。尊厳へのこだわりは、「自分を守る」ことなのだろう。マギーの最後の涙は、最後に人間としての尊厳を守ってくれたのが、最愛の人であった感動の涙なのかもしれない。 【パセリセージ】さん [映画館(字幕)] 10点(2005-06-04 10:01:15) (良:2票) |
297.原作を読んだ上で映画館に臨みました。原作は短編集であり、正直なところ、それほど傑出しているとは思えない作品でした。さりながら映画については、イーストウッドの手腕にただただ驚かされるしかありませんでした。まさかあの原作を、骨格はほぼそのままに残しつつ、ここまでの作品に昇華させるとは……。当方、このところ海外ミステリ小説にどっぷり浸かっており、原作を台無しにしてしまっている映画作品の多さに辟易していたのですが、この「ミリオンダラー・ベイビー」は原作を大幅に凌駕しています。イーストウッドをはじめとするスタッフ一同に心からの拍手を。 【K】さん [映画館(字幕)] 9点(2005-06-03 18:09:59) (良:2票) |
296.うーん、どー書けば良いのか。別に難解なお話ではないけれど、何つーか、良い意味で頭が真っ白になってしまって、どう言葉にすれば良いのか分からないのですが・・・僕はこれ、いわゆる「悲劇」ではないのだと思います(もちろんハッピーエンドでもないけれど)。僕はイーストウッド作品は「許されざる者」と「ミスティック・リバー」しか観てないけれど、共通してるのは、登場人物の行為を正当化もしていないし、断罪もしていない、という事。彼はただ、人間の「ある姿」を映像に収めて観客に提示する。だからこの作品も決して「尊厳死」の是非を問うものではなく、あくまでシンプルで寓話的なラブストーリーなんだと思う・・・・・・うーん、やっぱしうまく書けん。また見直す機会があれば、改めて書きます。とりあえず僕はこの作品を見てる間、何度かまばたき出来なくなってしまいました。 【ぐるぐる】さん [映画館(字幕)] 9点(2005-06-03 18:07:13) (良:2票) |
295.《ネタバレ》 とても繊細で複雑な映画である。こんな映画を撮ることができるのかいうくらい、繊細さを感じた。光と影によるコントラストが、さらに本作を繊細にしている。また、セリフのない数秒のカットでさえ、数分間を物語るくらいの効果があるものがいくつも垣間見られた。この点に関しても、流石と感心せざるを得ない。 ストーリーにおいて、一番気になったのは、彼女が「悔いのない人生」を送ることができたかどうかということだ。 あのような反則による事故によってあのような結末に至り、また「彼女が何のために戦い続けていたか」ということと家族の酷い仕打ちを見ると、果たして悔いのない人生と言えるのだろうか疑問に感じる。むしろ失意のうちに、また無念の想いを抱いていたのではないか。 家族については、家は買えても、心は買うことは出来ないので仕方がないとしても、ボクシングの試合に関しては、自分が脚本家ならば、チャンピオンの反則により、大きな怪我を負う。怪我を負っても戦うことを止めようとしないマギー。何度もタオルを投げ込もうとするも、戦う彼女の姿を見て、どうしてもタオルを投げ込めないフランキー。勝つか負けるかどちらでも良いが、最後までリングで戦った代償として全身不随の怪我を負うという流れにした方が良いのではないか。最後までリングで戦うことができれば、彼女は「悔いのない人生」を送ったと思うし、スクラップが失明した試合をカットマン故、止めれなかったけど実際はどうだったのか…という話ともリンクする。 フランキーはトレーナーとしては、マギーの試合にタオルを投げ込むことができなかったけど、トレーナーを超えた存在として、マギーの人生にタオルを投げ込む業をフランキーに背負わせるというのが、すっきりする流れと思われる。彼女の人生に自己責任を負わせることが出来ないと、後味の悪い、救いのなさだけが残ることになるのではないか。 他方、彼女を死なせないという流れの方が整合的なストーリーのような気もする。スクラップの語る「誰でも一度は負ける」というセリフには、裏を返せば「負けたとしも、どんなに傷ついても、人間は再び立ち上がれる」ということを言いたいのではないか。ラストで彼女が大学で車椅子の姿でもゲール語を学ぶ姿が見られたら、アカデミー賞受賞作品に相応しい映画になったのではないかと思う。 【六本木ソルジャー】さん [映画館(字幕)] 7点(2005-05-30 23:40:05) (良:2票) |
|
294.《ネタバレ》 フランキーと彼を見守りながら寄り添うように静かに生きるエディ。彼らの描写は丁寧で、決して成功とはいえない人生を背負いながら静かに生きる切なさを感じさせる見事な演出だと思う。しかしその割に娘を金ずるとしか見てない母親や勝利のためなら反則技もいとわない娼婦上がりのボクサー、彼らの悪役ぶりがマギーとフランキーの絆をより際立たせるための単なるコマになっているようで、そこだけ世界が薄く色あせてみえてみえる。彼らにも人生があり陰も陽もあるはず。フランキー、エディ、マギーを深く描くなら、同じ愛情で彼らも描写して欲しかった。 そしてあまりに救いの無いラスト。「ミスティック・リバー」といい、この人の近作は希望が無い。全体としてとても水準の高い作品だと思うし、これも人生だと思うが、僕は映画から希望や明日生きる勇気を与えてもらいたい。そしてエンドロールが終わったスクリーンの向こう側で生き続けているであろう主人公達の幸せを祈ってしまうような、愛を感じる映画に高い点数をつけたいと思う。 【ロイ・ニアリー】さん [映画館(字幕)] 7点(2005-05-30 21:41:06) (良:2票) |
293.《ネタバレ》 迫力のカメラワークと観る手を決して飽きさせないテンポ、何よりも素晴らしい主役の3人の存在が光りに光った良い映画だった。「ショーシャンクの空に」同様、やっぱりモーガン・フリーマンの語り口はいい。カスレた重厚感を感じさせるイーストウッドの凄みのある演技は彼ならではだ。この映画を観ると人間の生きる意味を考えさせられる。人生の価値は他人が決めるものではなく、その人生を歩んでいる当の本人が決めるものだ。夢をかなえるということは、何かを手に入れるということではなく、「目標である自分になる」ということだ。その「目標である自分」に一歩でも、二歩でも、いかに近付けるか、それで人の一生の価値は決まるのだ。不断の努力でその夢を叶えたマギーの一生は、彼女自身にとってきっと価値あるものだったに違いない。尊厳死の問題は賛否両論あるだろうが、「死」が彼女自身が自分の一生を価値あるものにする為に選んだ道であるならば、ひいては夢をかなえる為であれば、それもひとつの立派な人生の選択であるのではないだろうか。彼女をチャンピオンへと育て上げ、そして自らの手で幕を下ろす。彼女の一生の価値を理解しながら、自ら育て上げた愛する者の一生に幕を下ろさねばならないフランキーの苦悩が痛い。私個人も彼女に近い年齢になった。成りたい自分に少しでも近付く為に、自分の一生を価値あるものにする為に、もっと真剣に努力をしたいと思う。 【six-coin】さん [映画館(字幕)] 8点(2005-05-29 01:34:48) (良:2票) |
292.人に薦めるべき作品というか観るべき作品ですよね。あとは他の方が書いている事と全く同じですし、久々にまた観たいと思いました。アビエイターなんて話にならないですよ。 【am】さん 9点(2005-03-13 04:09:45) (良:1票)(笑:1票) |
291.《ネタバレ》 最初に見たのは10年以上前。それからずっと心に残ってました。意を決して2回目の視聴。至高のラブストーリー。届かない思い。胸が張り裂けそうなほど辛い話ですが、こんなに美しい映画は他にありません。 【Keytus】さん [DVD(字幕)] 10点(2018-08-15 09:59:54) (良:1票) |
290.《ネタバレ》 終わり40分の絶望をよりハードにするための前振りとして、前半90分間、マギーのひたむきさやしなやかさを映していたのだと思う。でもそれは、意地悪がすぎるというものだ。 【なたね】さん [DVD(字幕)] 3点(2011-01-17 22:07:19) (良:1票) |
289.《ネタバレ》 このような物語とは全く知りませんでした…。ミリオンダラーベイビー、ボクシングで成功する女の子のお話かと思って観はじめました…。正直、どんより。ボクシングなどはその材料でしかなく、ここ最近クリントが訴え続けている「死」についてのお話だったので、面食らいました。重すぎます。救いようが無さ過ぎます。そこまで不幸な女子の話は共感できない、というか、気の毒で気の毒で、作品本来のメッセージを考えることすら忘れてしまいます…。ご冥福をお祈りすることも忘れて、ただただ呆然とするばかりです。 【ちゃか】さん [CS・衛星(字幕)] 4点(2010-08-06 21:44:33) (良:1票) |
288.《ネタバレ》 わたし個人は選択としての「自死」や「尊厳死」を全否定するつもりもないし、もちろん映画がいつも希望にあふれた夢物語であるべきだとも思わない。 本作は、大変上質な作品で、何度観てもすべての点で非常に完成されていると思う。 しかし、こうまで残酷な結末を与えるのなら、貧困や敗北のどん底で、それでも生きようともがく人々に対して、なんらかの光を示すべきではなかったかと、非常に残念に思う。 救いのない結末で、鑑賞後の後味の悪さがいつまでも残る。 【poppo】さん [映画館(字幕なし「原語」)] 7点(2009-01-17 12:37:47) (良:1票) |
287.《ネタバレ》 ジャケットから爽やかなスポ根を期待してレンタルしたのですが、違った、、、です。アメリカ映画なのに、ファーストネームではなく、やたら姓が強調されているなと思ったら、ケルトを強調してたのですね。前半の躍動的なカメラワークが、後半は極端に変わってしまう。映画なら、もう少し希望のあるエンディングにして欲しかった。「ジョニーは戦場に行った」ほどではないが、救われない結末です。 ところで私は昔、生活保護のケースワーカーしていたのです、あの制度はこんな家族を作り出す麻薬のような一面があるのを思い出しました。その世界を知っている私には、この家族は本当にリアリティがあります。 【胡桃沢金太郎】さん [DVD(字幕)] 7点(2007-09-09 11:43:55) (良:1票) |
286.《ネタバレ》 はっきり言って、近年よく見かけるこの手のお涙頂戴作品には辟易している。それ以前に、何なんだあの反則チャンピオンは・・・。医療ミスで床ずれってのも納得いかない、安易な展開。「ほ~ら、残酷でしょ、悲しいでしょ」と言わんばかりのクサいお話にはうんざり。ただ、役者陣の演技は良かったと思う。 【dee】さん [地上波(字幕)] 3点(2007-08-01 17:13:33) (良:1票) |
285.《ネタバレ》 う~ん…ごめん。この点数だ。なんでかな。イーストウッドも良かったし、フリーマンさんもいつも通りだったし。スワンクに至っては2度目のオスカーも当然って感じだった。たぶん先に原作の小説読んじゃったのと、先に"Boys don't cry"のスワンク観てイメージ固めちゃったのもあるかな。マギーの家族の最低ぶりは原作よりちょっとひどい、青熊の極悪ぶりもちょっと…あれ故意じゃなく事故だったはず。なんかこれでリアリティー薄れた感あった。それと宗教と自殺の問題。なんかそういうのにこだわって脚本いじってるのかな。そもそもフランキーがマギーに対して決断したのは、マギーの父がアクセルを葬ったエピソードが重要な役割を果たしてたと思うんだけど、心なしかこの重要な部分をあえてあっさり触れただけで済ましてる気がした。ていうかそこなんだよな。マギーを解放してやる理由、そこを原作のままストレートにやっちゃう訳にはいかなかったからいじった、そうじゃないかな。国内の宗教関係者の反発を少しでもそらしたかったからとか。個人的にそういったことがひっかかって醒めてしまったよ。なんか政治的なものが感じられてさ。それでもやっぱり論議は呼んだんだよね。ならこんな不自然なストーリィのこねまわしかたは避けて欲しかったかも。 【ごりちんです】さん [DVD(字幕)] 7点(2007-02-03 01:05:21) (良:1票) |