5.遠隔会議の大画面に大写しにされる上司の顔面の威圧感、向かいのビルディングに巨大に浮かぶ主人公の影、乱視のような投影、不穏さと居心地の悪さを想起させるコンピューターの背景音……作品全編において御年70歳の大巨匠の映画術が冴え渡る。
監督オリバー・ストーン。この人もまた老いて尚益々精力的な映画人であることを思い知った。
そして、“エドワード・ジョセフ・スノーデン”を描き出すことにおいて、彼以上に相応しい映画監督はやはり居なかっただろう。
かの国の大いなる混沌を伴う政権交代により、ロシアからの“贈り物”としての「強制送還」も現実味を帯びてきている。
このタイミングで、この題材を、このような方法で描き出した今作の「意義」は、あらゆる側面で大きい。
映画という表現方法においては、それがノンフィクションであれ、ドキュメンタリーであれ、映し出されたものがそのまま「真実」だとは思わないように個人的に意識している。
映画が作品として優れていて、傑作であればあるほど、創作と現実の境界をしっかりと認識するべきで、その境界を曖昧にしたまま情報を鵜呑みにしてしまうことは、危険で愚かなことだと思う。
だから、この映画で描かれたエドワード・ジョセフ・スノーデンという人物の実態が、そっくりこのままだとは思わない。
もっと脆く危うい人物かもしれないし、逆にもっと完全無欠な人物かもしれない。
または、過剰なまでにナイーブなギークの青年に過ぎないのかもしれないし、もし生きる環境が違っていたならばスティーブ・ジョブズにもマーク・ザッカーバーグにもなれた天才なのかもしれない。
それは、スノーデン氏本人、もしくは彼と直接関わり合った人にしか分かりようがないし、彼のことを知りもしない人間が推し量ることはあまりに無意味だ。
ただし、彼が起こした「行動」と、それに対する世界の「反応」は事実である。
その「事実」それのみを知って、この事件が露わにした真実と影響は、極めて重要な事だと改めて思った。
「諜報機関を持つ国ならどの国でもやっていることだ」
と、時の最高権力者は見解を示した。
そこには、ある種の開き直りと、そうする他無いじゃないかという本音が入り交じる。
実際、スノーデン氏が明るみに出した事実に対して、世界はその善悪の判別を下せていない。
それは即ち、彼の行動が「正義」なのか否か結論付けられていないことを表している。
そもそも「正義」とは何か?「正義」ではないとするならばそれはイコール「悪」なのか?それとも「別の正義」なのか?
エドワード・ジョセフ・スノーデンが“起こした事”の本当の「意義」は、その“答えが出ない問い”を世界に投げかけたことに他ならない。
そして、彼がこの先どのような人生を送るのか。オリバー・ストーンが紛れもない「今」を描いたからこそ、我々はこの先もその現実のドラマを追うことができる。
示された事実を受け取り、たとえ明確な答えが出なくともその是非を考え続けること。それが、これからの時代を生き続ける我々の責務だと思う。