56.《ネタバレ》 前作”LOS ANGELES NOVENBER,2019”の世界では、レプリカントたちの感情の芽生えとまだ生きていたいという渇望が大きなテーマだったが30年後の"CALIFORNIA2049"ではそれらには触れず、あらたに、
魂の所在や「デザインされた(創り出された)もの」と「産み出されたもの」の違いといったテーマを持ち出していて、少し期待したけれど、ほぼ表層をかすめただけで、ぜんぜん掘り下げて無かった。
まぁ、エンタテイメント性も必要な映画の尺では無理難題でしょうね…。
作品世界全体が、CGのお陰で堂々と「昼」を描けるようになったが、細かい霧でいつも白けてるし、所詮CGは質量ゼロなのでわれわれの視覚が誤魔化されてる感だけで、そこに在るって存在感は無いんだよね。だから感動は少なくて「ふーん…」な感じ以上でも以下でも無い。
前作が暗がりの多い部屋や夜の街や雨のシーンが特徴的で、さらに煙や強めのコントラストが多用されていたのは、世界観のためだけじゃなくて特撮効果や模型のアラ隠し(スピナーをつり下げるワイヤー隠し(出来てないけど)等)のためもあって、そういうシーンの数々が(女房に三行半された元・殺し屋)デカードのよく言えばフィルム・ノワール的な、投げやり感とやり切れないエネルギー感を彩っていて、ああ、こんな生き方って格好いいよなー、なんて当時の、私を含む多感な若者らにウケてたとおもう。少なくともそう感じさせてくれるほど、世界と生き様にリアリティが在った。
当時自分はよく、何するともなしに夜の新宿に独りでいたりして、ブレランの夜のロサンゼルスと同じような、絶え間ない喧噪と猥雑さと、群衆の雑踏と刺激的な光で飛び込んでくる情報の洪水の中で、時々ふと空を見上げることがあって、そこは星一つもみえない真っ黒か、月一つあったらめっけもんの空間なんだけど、たぶん心にとっては避難場所みたいなものだった。
それをデッカードがしたら、真っ暗な空をさえぎるようにブリンプが"OFF WORLD(ジャーン!)"って宣伝していて、「やれやれ…」って目をそらすシーンなんか上手くて、如何にも都市生活者らしくてリアリティがあった。
本作のKはデッカードと違って、人間っぽさが設定でえげつなく制限されてるので、まさか飲んだくれてピアノで寝てしまわないし、小さな報酬系(垂れ流すほどのリビドーなんて無いであろう程度の性欲)で満足して、決して女に欲情し暴力的に壁ドンして「抱いてと言え」とか云ったりしない。さらに食欲もあるのか無いのかって感じなので、対面型屋台(店員さんとのコミュ必要)で、「(不味そうな青っぽいエビ天を)四つくれ!」なんてことも恐らく云わない。
もう基本的に毎日が職場(LPD)と自宅アパートの往復で、たまに、ぜんぜん雑然としていないモールの独り席で宇宙食みたいなのたべる程度だったりする。
・・ただ、なんだかこれってそのまま、80年代の若者と現代の若者の違いのようでもあり、意図的なのかどうか知らないけどとても興味深い。
あと、老いたせいか昔より短気で思慮が浅くなったようなデッカード(H・フォード)より、相変わらずどこか超然としてしまってるままのエドワード・J・オルモス演じるガフの挿入は、ファンサービスでしょうけど元気そうなの確認できて嬉しかったです。
彼が会話中に手すさびに折った紙の牛(闘牛)で看破されたKとは、「おまえは闘牛みたいだな。だが所詮家畜」ってことなんでしょうね…。
そういえば40年くらい前のテレビ番組で、「ロボット刑事K」ってのがあって毎週みてたんだけど、Kサツの仕事しか生きてる役割が無いなんて切なくって、子ども心ながら悲しくて仕方なかった。
このブレランのKもロボットみたいに無表情だけど、JOIに安らぎを求めている時のあどけなさと、ずっと消えない戸惑いの表情は見ていて本当につらい。
とは言え、続編を望むくらいに好い出来だったと思います。