67.《ネタバレ》 鬼も逃げ出すという「羅生門」で“人間の愚かさ”を描いたように、本作もシェイクスピアの悲劇「リア王」をベースに神や仏も泣き出すという“人間の愚かさ”を描き切っている。
しかし、ここには「羅生門」のような“希望”はない。あるのは残酷なまでの“醜さ”だけだ。
舞台は架空の戦国時代であるが、現代にも通じる“乱”れた世界に対する“嘆き”が込められた作品であり、製作者の黒澤のメッセージや深い想いが感じられる作品だ。
また、「影武者」でも描かれていたが“破滅”に対する美意識も高い。
長く暗く陰惨な映画ゆえに一般的に好まれない映画ではあるが、個人的には、評価の高い「羅生門」よりも、評価がそれほど芳しくない本作の方を好む。
仏の絵が地面に置き去りにされて、悲しげにこちらを見つめており、盲目の青年が崖の上に取り残されているというラストのカットも秀逸だ。
ここで終われば完璧だと思った瞬間に、きちんと幕を閉じたのはさすがだ。
「果たして仏は我々を見守っているのだろうか」「この“乱”れた世で生きるということは、盲目状態で崖の上を歩くようなものなのではないか」と黒澤は言いたかったのかもしれない。
素晴らしい作品であると感じるが、何点かは不満な点もある。
①「三の城襲撃について」
襲撃に至るまでの展開がやや早すぎるように思われる。
次郎が秀虎を体よく追い返すまでは理解できたが、肝心の襲撃に至るまでをもう少し分かりやすく構築した方がよかった気がする。
あれでは、単なる「謀反」のようにしか感じられなかった。
ただ、演出は素晴らしい。
呆然とする秀虎の背後をびゅんびゅんと火矢が飛び交うような現実離れしたリアリティのない演出ではあるが、あそこまで思い切った演出をするのは難しいものだ。
②「ピーター演じる狂阿彌について」
彼なりに健闘していたように思えるが、本作の裏の主役でもある大切な存在こそが「狂阿彌」である。本作の成否が彼に掛かっているといっても過言ではない。
この世の“表裏”を見聞した彼の言動こそが、本作のキーとなるはずだ。
道化である彼が一見狂っているようにみえるが、“乱”れた世で一番まともだったのが、彼だったというオチに持っていきたかったところだ。
少々感情を表に出しすぎているところがある。ストレートではない悲哀を感じさせるキャラクターに仕上げることができれば、より傑作に近づいた気がする。