6.レンズ越しの主観ショットが様々に変奏される。
まずは序盤で老人会の劇を撮るホームヴィデオカメラの慌てた揺れが醸し出すユーモア。手振れ画面というものを映画に活かすなら、こうあって欲しい。
ロボット頭部内でレンズの焦点調整するショットのチープな感覚の楽しさ、
盗撮の望遠カメラが捉える五十嵐信次郎の佇まいの孤独感もいい。
(窃視によることが、いっそう素の人間性を感じさせる。)
おてもやんを踊り、ぎっくり腰で担架に乗せられ、工作アームに振り回されるロボットの可笑しさはいかにも矢口印だが、被り物による外見が内部を想像させるという点を見事に笑いに活かしている。つまり、見えないことが映画的強みとなっている。
「歩行」のアクションひとつで人間味を醸し出すことにも繋がっており、その成果も上々だ。
そして、吉高由里子と五十嵐信次郎との間に交わされる手と手の接触がチャップリン『街の灯』の感動を淡く呼び覚ましてくれる。
バンと並走しながら、投げキスする吉高由里子のコメディエンヌぶりも楽しい。