31.誰しも、いくら普通に生きていたって、大なり小なり困難はつきまとう。
僕自身、瞬間的に生きていくのが嫌になるくらい些細な苦悩に苛まれることが多々ある。
そんな時、自分に唯一残された“手段”は、結局、「大丈夫だ、きっと、うまくいく」と己に言い聞かせることだけだ。
苦しいことも、楽しいことも、始まりがあるのだから、大抵の場合終わりがある。
自己暗示でもなんでも、「きっと、うまくいく」と言い聞かせて、今この瞬間を生き抜きさえすれば、大体の物事は解決しているものだ。
このインド映画のタイトルは一見浅はかに見えるし、紡ぎだされるストーリーもベタベタでご都合主義的だとも言えるが、それでも、「人生」って、結局そういうものだよなと思うことが、この幸福な映画には溢れている。
「多幸感」こそが、インド映画という文化が最も重要視する要素である。今作もその例に漏れず、愛すべき多幸感とそれに伴う娯楽性が満ちている。
ただそれと同時に、インド社会が持つ慢性的な“闇”もしっかりと背景として描き出している。
国家の発展のための学歴至上主義がもたらした社会的な圧迫感は、若者たちの自殺者を増大させた。
それは、インドに限らず世界中のあらゆる国々が、同様に抱える現代社会の病理だろう。
その原因となっている社会のしくみに対して、真っ向から異を唱える主人公は、その存在そのものがエンターテイメントであり、インドに限らず世界の“理想”を体現するものだった。
そんな主人公を中心にして描き出される笑いと涙の尽きない青春群像には、決して悲しみにばかり暮れることはないインド映画の心意気が表れていたと思う。
今この瞬間も、世界中、あらゆる国のあらゆる人々が、何かしらの問題で行き詰まっていることだろう。
でも、大丈夫。「うまーくいーく」と心のなかで唱えていれば、いつも間にか苦しい時間は過ぎ去っている。