14.《ネタバレ》 人間は善と悪の表裏で出来ています。
エミリーはクリスチャンであり自分の命をかけて悪を生かしたのです。
悪魔が存在したとなれば神がいることの証明になるから。
神父も死なせてしまったということは悪に負けたのですから仕事は失敗です。
これはこれで償うのは当たり前だとも私は思います。
教会がそこから逃げれば悪を否定します。
悪を否定すれば善も否定することになるのに・・
サタンの6変化これを認めなければ神も存在しないのでは・・
ここらはまた勉強になりました(爆)
ラテン語ギリシャ語ヘブライ語ドイツ語・・聞き取れない!
スティグマータ(聖痕)が現れたときは・・この自己犠牲がキリスト教の見所だ(爆)
と世界に入りかけたのですが・・
法廷劇での猛反論は(フェンスの傷)と言われると、
う~んそれもそうだとか・・
どちらとも取れるんですよね。
だって悪魔つきなんて実際のところ、
当の本人も悪魔がついているに違いないと思いこんでるかもしれないし、
本当についているかもしれないしそんなの立証ができないから。
日本で言えばわかりやすく例えればイタコさんみたいなものでしょうか。
この難解で答えが出ないオカルトを法廷劇という現実的なドラマで見せるのです。
そういう点では全く新鮮でした。
それと久しぶりに映画で悪魔祓いの儀式を観られたこと。
十字を切り聖書の一説を説きながら聖水を振りかける・・
この一連の神父の動作はかっこいいとさえ思う私って・・(笑)
初心者の神父だったからああなっちゃったんですね・・
有罪か無罪かを決めようとする人たちは、
人の死よりも悪魔が存在するか否かを決めたいんでしょう。
ここらが哀しい勇気あるサスペンスの話にもなっています。
字幕も演出もカトリックの描写は完璧でしたが、
パンフを読むとやはり・・神父と牧師がごっちゃにされてた。
カトリック=神父 プロテスタント=牧師が絶対なわけでもないのですが、
映画は真面目に作っている法廷ホラーなのに残念と思いました。
私のような素人が間違えるならまだしも・・(苦笑)