56.ラスト、結局人間としての生活を余儀なくされた主人公が、久方ぶりに親友に再会し野原(ゴルフ場)を「狸」として駆ける。
そして、「上々颱風」によるエンディングテーマが流れ始めた瞬間、涙が滲んだ。
この映画を観るのももう何度目か分からないが、これほど感情が揺さぶられたことは初めてだった。
20年近く前に初鑑賞した時から、この映画が“嫌い”だった。
ジブリ作品としては、あまりに不格好で説明過多に思え、何よりも全編通して蔓延する説教臭さに嫌悪感を覚え続けていた。
この映画にそういった要素が存在することは間違っていない。でも、この作品にとってその在り方は、完全に正しかったのだと今は思う。
子供だった僕が、この作品に対して嫌悪感しか覚えなかったのは、描きつけられている時に辛辣なまでの「現実」の切実さに気付いていなかったから……もしくは気付かないふりをしていたからだと思う。
幼稚に見えるタイトルや子供騙しの描写の中で、この映画では、狸、人間に関わらず、明確な「死」がきちんと描かれる。
そこから見えてくることは、この映画は、種別の違う動物が「共生」することの「賛美」描いているわけではないということ。
むしろ、「共生」などという言葉自体が、人間が勝手に作った価値観であり、人間が人間として生きていく以上、そのような価値観が成立するわけが無いということを、自己否定と自己肯定の狭間で叫んでいるように思えた。
この映画を観ている人間は、当然「狸」たちに感情移入する。
しかし、だからと言って、根本的な部分で人間たちの行いを無下に否定することは出来ない。
なぜなら、今この映画を観ているその足元にも「狸」たちの犠牲は存在し、そしてこれからもその上で、僕たちは生きていくしかないからだ。
非常に、もどかしい。
この人間としての“もどかしさ”こそ、この不格好なアニメ映画が伝えたかったことで、それは“人間の業”そのものだと思う。
すごい。良い映画だ。
我ながらあまりに遅過ぎる賞賛だと思う。