1.《ネタバレ》 フェミニズムに溢れているのに保守的、長門裕之が言うようにこの映画はとことん矛盾している。脚本の質の悪さと演出力の無さと編集の下手さ(これじゃあ、全部駄目じゃないか)のせいで、子供を産み母となり、子供が育っていくことの幸せが「日本の美しい女性像」という結局保守的な着地点に辿り着いているように見える。じゃあ、子供が産めなかったり、容姿が整わない家系に産まれたり、愛するひとを見つけることの出来ない女性は美しくないのか。美しいものを並べて美しいですね、って当たり前だろ。これこそ広告的な「美しい」という概念。そんなの広告でやってろよ。決して容姿が美しいとは言い難くとも、およそ2時間という時間、映画的にはそれが5分だけかもしれないし、あるいは何日、何年という月日を経験することで、ああこの女性は美しいなと観客に感動を与えるのが映画であって、上辺だけの美しさなんて意味ねぇよ。
お通夜でおじさんが「次はいつなんだい?」と聞くと広末涼子が「それセクハラっていうんですよ」っていう阿呆みたいな会話はさて置き、フェミニンな格好で登場した田中麗奈に同僚が「でも意外と似合うじゃないか」って言うが、これがセクハラになってしまうという阿保らしい問題への無頓着さ。
一番許せないのが、田中麗奈の婚約者が次長課長河本であることで、美しい家系の女性は、心も美しくひとを顔で判断しませんという、糞みたいな表明。
フェミニズムは時として男性差別になるということをこの映画は無意識レベルで表現している。
そして最後は爆笑しそうになったんだけど、恥ずかしいからぐっと堪えた。鈴木京香をクレーンアップでとらえた映像にいつSHISEIDOのロゴが刻み込まれてもおかしくないラストの数カットを笑わずしてどうやって直視すりゃいいんだ。寧ろ鈴木京香の上にSHISEIDOのロゴ出せよ。それがわざわざ広告に金払った消費者への礼儀だろ。