2.恥ずかしい話だが、映画の終盤までこの作品に核心である“ケネディ”は“JFK”のことだと勘違いしていた。ほんとに無知さが情けない。
でも、その無知がこの映画の終着点までの道程における「深み」を、固定観念なく染み渡るように感じることが要因になったとも思う。
つまりは、スバラシイ映画である。
1968年、泥沼化したベトナム戦争、混迷を極めるアメリカ、残された最後の希望、アメリカ大統領候補ロバート・F・ケネディの暗殺。
アメリカ史上に残る血塗られた悲劇の日、現場となったアンバサダーホテルに集った人種もステータスもバラバラな22人の「視点」と「感情」をグランドホテルスタイルで巧みに切り取っていく。
この悲劇の事実を知らなかったので、描かれた「顛末」の衝撃は殊更に大きかった。
そして同時に、この映画を22という多種多様なアンサンブルによって描いたことの意味を知った。
それぞれが描いた「希望」がついえたその瞬間、彼らは何を見て、何を思ったのか。
きっとそれは22人の視点以上に複雑で、混沌と共に混ざり合う。
ついえた希望に反して、今なおついえることのない愚かしい悲劇の数々。
それは、アメリカという絶対的な大国に課された恒久的な「業」なんだと思う。
それは、凄まじく辛く、堪え難い。
が、しかし、諦めることは許されない。どこまでも続く悲劇を、どこまでも乗り越えていくしか、人類に未来はない。