1.《ネタバレ》 原題は「The Danish Girl」、直訳すれば“デンマークの女の子”。
当然、主人公である“リリー”という「女性」を指しているだろう。また、“リリー”に最期まで連れ添った「妻」のことも指しているだろう。
ただそれならば、“Girl”ではなくて“Woman”でもいいのでは?と、語学力の乏しい日本人としては思える。
そこには、生まれた瞬間から”間違った身体”を与えられてしまった「女の子」の心象そのものが表れているように思える。
”彼”が、無意識の内に秘め続け、皮肉にも彼を最も愛した女性によって解き放たれた少女性。
このシンプルなタイトルが含んだ意味と人格は、重層的で、豊かなドラマ性を孕んでいる。
さて、この映画は、「悲劇」だろうか。
この題材を、「悲劇」として描いたことに対して、トランスジェンダーの層からも、そうでない層からも、一部批判が渦巻いているらしい。
個人的には、この物語は、決して悲劇だとは思えなかった。
勿論、映画の顛末となっている出来事は、悲しい。けれど、”リリー”自身にとってこの物語が本当に悲劇なのであれば、それはもっともっと悲しい。
たとえ、死の淵の一寸のことであったとしても、彼女は、自分の魂が望み続けた“あるべき姿”を果たした。
何もわからない、何も知らない、無知な他人にとっては、その姿が死に急いでいるように見えるかもしれない。
しかし、そうではない。
彼女にとっては、その「瞬間」こそが、生きるということの目的であり、真価だったのだろう。
彼女の最期の言葉は、真に幸福感に溢れていたのだと思う。思いたい。
まあ何と言っても、エディ・レッドメインが凄い。
昨年の「博士と彼女のセオリー」でのホーキング博士の演技で舌を巻いたわけだが、今作での表現力もまた凄まじい。
自分と同い年と知り、益々今後どのようなキャリアを積んでいくのか楽しみでならない。
そして、タイトルの意味でも言及した通り、この映画は主人公リリーの物語でもあり、同時に彼女に寄り添った妻ゲルダの物語でもある。
彼女を演じた新星アリシア・ヴィキャンデルは、凄まじい主演俳優に匹敵する存在感を示し、素晴らしかったと思う。
彼女の存在がなければ、当然リリーはその人生を全うできなかっただろうし、この際どいバランス感覚を要求される作品自体が破綻していたことだろう。
”リリー”の妻であり芸術家であるゲルダの“物言い”や“振る舞い”が実に現代的で、この映画が描く時代背景に対して一寸違和感を覚える。
けれども、それは、無知で無理解な「時代」に対して、彼女が思想的にも精神的にも、そしてそれらを踏まえた立ち振舞的にも、いかに進歩的であったかを表しているのだと感じた。
自分が思うままに生きること自体が困難だった”彼女たち”は、きっと多くの悲しみを受け続けたことだろう。
しかし、彼女たちの悲しみの上に、ほんの少し進歩できた今の社会があり、ほんの少しずつ進歩し続けていることも事実。
ならばやはり、この映画は、彼女たちの人生は、「悲劇」なんかじゃない。