1.えっ!?ええっ!!?えええっっ!!!の連続。それは、このアクション映画シリーズを愛し、この第10作に至るまで堪能してきたファンにのみ許された特典的なエキサイティング性だったかもしれない。
無論、必ずしも“一見さんお断り”というわけではなく、圧倒的物量のアクションシーンと怒涛のスペクタクルは、誰が観ても高揚する娯楽性を放っていたけれど、その根底にあるのはやはり、本シリーズのファンも含めた“仲間”に対する「家族愛」であり、シリーズを追い続けてきたからこそ得られる高揚感が確実に存在していた。
「ワイルド・スピード(原題Fast & Furious)」の最新10作目にして、最終章の前編となる本作は、常識や現実なんてものは、もはや遠い彼方に置き去りにしたアクション&ファンタジーとして、堂々と仕上がっている。本作の“あり得ない”描写に対して、揶揄したり、鼻白んだりすることしか出来ないのであれば、もうそれはこの“車”からお降りいただくしかない。
最終章を描くにあたって、敵味方を含め過去9作に登場してきたキャラクターたちを“総動員”させようという心意気も嬉しい。
それは、“ファンサービス”と言ってしまえば確かにその通りかもしれないけれど、去ってしまった仲間に対する敬愛、そして倒してきた敵からの憎悪の連鎖とが入り交じる本シリーズの人間模様の総決算でもあり、相応しい顛末に感じた。
シャーリーズ・セロン演じる最凶の敵サイファーが、いきなり呼び鈴を鳴らして訪ねてくる冒頭シーンに驚き、絶対に死亡していたはずの“ワンダー”な女性キャラの再登場に高鳴り、“不仲”が伝えられていた最強捜査官の復帰に歓喜した。
そして、ジェイソン・モモア演じる本作の敵ダンテのイカれジョーカーぶりも最悪で最高だった。
本作においてドムの追撃をことごとく阻み、ついには“ファミリー”を「崩壊」にまで至らしめたこの悪役の暴れっぷりと狂いっぷりは、近年のヴィランの中でも随一の存在感を放っていたと思う。
キャラクター的にはもう一人、前作で悪役として登場したドムの実弟ジェイコブも、その“キャラ変”ぶりが最高の一言だった。ドムの息子“リトル・B”との道中のやり取りは、その微笑ましさと痛快さに終始ニッコニコ状態。この叔父・甥コンビのロードムービーだけで1本の映画が作れるのではないかとすら思えた。
ジェイコブは、前作からの禊も含めた涙腺崩壊必至の“離脱”となるけれど、本作の世界観が描いてきた「常識」を踏まえると、ほぼ確実に、「ジェイコブ叔父さんは帰ってくる」だろう。
というわけで、本作は「前編」として、ある意味最高にエキサイティングな終幕を迎える。2025年公開の次作が待ちきれないところだが、本シリーズが積み重ねてきた10作分をじっくり観返して待つとしよう。
何度も何度も大切な仲間たちを生き返らせてきた「ワイルド・スピード」の最終作であれば、しばらく不在の“もう一人の主演俳優”も、まるで何もなかったように復活するに違いない。と、非現実的なことを信じずにはいられない。