3.《ネタバレ》 とにかく脚本が秀逸だと思う。冒頭、主人公コニー(ダイアン・レイン)の家のショット。風が吹いて子供の自転車が静かに倒れる。「あっ」っと思った。やがて、この風が強風になり彼女が浮気相手と出会う原因になってしまうのだけど、この時すでに家庭の崩壊は始まっていたのだ。
続いてカメラは家の中を写し出す。キッチンで朝食の支度をしているコニー。ダイニングで子供がゲームをしている。「バーン!バーン!」「また人を殺すゲーム?」この会話は伏線。平和な家庭の中に「人殺し」という異質なキーワードが飛びこんでくる。そして夫(リチャード・ギア)が登場、TVのニュースを見ながら、妻に聞く。「君が反対した○○の株、今いくらだと思う?」「知らないわ」「○○ドルだよ(何十倍に跳ね上がっている)。あの時買っておけば良かった」「じゃあ、買えばいいじゃないの」「今からじゃ遅いんだよ」夫と妻の価値観の違いが示される。
開巻数分で、もうここまで語られている事に驚く。一見、平和で幸せに満ちた家庭。でも実は夫と妻はほんの少しだけど、すれ違いを見せていた。
ポールとの出会いとなった強風のシーンも良く出来ている。風でスカートが腿までまくれ上がる、モンローばりの名シーン!コニーという女性の魅力、ええい、はっきり言ってしまいましょう、カラダの魅力がね、もう全開なんです。で、ポールに誘われたとき、もちろん、傷の手当てという口実はあるのだけど、彼女はこの時すでに何かを期待している。通りかかったタクシーをあえて見逃して、男の後について行く。
2度目に男の家に行くシークエンスも上手い。彼女はやっぱり彼に逢いたい。でも、もちろん躊躇がある。街まで出てきたけど、半ば賭けのように電話を入れてみる。「お礼の品を送りたいから住所教えて」「今どこ?家に来なよ。コーヒー入れるよ」この時、彼女の手にはコーヒーの紙コップが…。彼女は決意を固める。紙コップを公衆電話の上に置いて「コーヒーね。いいわ、行くわ」と答える。最初の出会いの時も、彼女の前には帰るべきタクシーが来ていた。そして、この時もコーヒーなら今は欲しくないハズだった。でも。“敢えて”彼女は男のところに行く。
40手前くらいの女性って、焦りと諦念が交じり合った複雑な思いを抱えているような気がする。「このままで自分は終っちゃうのかな」って。客観的に見て幸福な環境の中に居たとしても、人生の中で選びそこねた「もう一人の別の自分」がどこかに居るんじゃないかって、そんな幻想を抱いているような気がする。
この物語は、そんな幻想に実際に身を委ねてしまった女性と、その夫の悲劇を描いているのだけど、そりゃ誰が見ても「不道徳」な、けしからん話なんだけど、でも、そういうのって、人としてアルんじゃないかって思ってしまう。「アリ」じゃないですよ、賛成するという意味ではなく、どうしようもないけど「アル」と。言ってみれば「罪」でしょうかね、そこを深く描いているなぁ~と感心してしまうのです。ちょっと褒め過ぎかもしれないけどドストエフスキーなんかを思い起こしてしまう。
夫エドワードの妻への愛は、本当に素敵なんですよ。でもね、秘密が暴露されて2人が対峙するときに、彼は「僕は家庭のためにすべてを捧げたんだ」みたいなことを言う。で、「君はそれを紙くずのように捨てた」と妻をなじる。この理屈はごもっともなんだけど、なんだろか、ちょっと強迫じみているというか、もしかしたらエドワードは、自分では己の努力は完璧と思っているけれど、コニーにとってどうだったのかって、彼女の気持ちは置き去りになっていなかったかい?って、女の私は思ってしまうのだ。
中盤でコニーがお風呂に入っている時に夫が入ってきて一緒にバスタブに浸かるシーンでも、そんなことが匂わされる。エドワードはうすうす妻の不貞に気づいている。バスタブの中で愛し合おうとすると、妻は「ベッドに行きましょう」と出ようとする。「行かないで」とエドワード。「ここは寒いの」と出て行ってしまうコニー。彼女の心はね、いつの日からかずっと凍えていたのだと思う。
映画の表現として白眉の画(え)も随所に。長くなりすぎたのでもう止めますが、とにかく、個人的には大好きな作品です。