1.《ネタバレ》 私はかつて【ぴあ・フィルムフェスティバル】や【イメージ・フォーラム】で、自主映画や実験映像を数多く観ました。その結果、これら【映像作家志向の人】と、【一般の人=役者さんの演技・ストーリー・脚本・キャラクターなどに焦点を当て、“劇”映画として観る人】とでは「面白い・優れている」の視点が全く違うことを思い知らされました。
その意味で、当短編劇場は【劇映画】と【実験映像】の中間的な印象。起承転結があって観やすかったです。物語の展開は、皆、予想がつきましたが、それぞれ映像表現が素晴らしく、没入できました。特に「サムライエッグ」は“個人的な事情”から、感情を揺さぶられました。以下、各作品の感想を明記します。
●「カニーニとカニーノ」は、宮崎監督から継承した画風による王道アニメ調。【借りぐらしのアリエッティ:2010年】を彷彿とさせる【小さな生き物たちの視点からの世界】をはじめ【水面及び水中を漂う浮遊物】など、ディテイールの表現の豊かさが素晴らしかったです。映像化にあたって、おそらく実際に沢へ出向き、ときに水中を覗き込み、ときに水槽で生き物たちの生息場所を再現して…というような、米林監督らスタッフの皆さんの試行錯誤が目に見えるようでした。そしてクライマックス。モンスターのように描かれた川魚(多分、イワナ?)、絶体絶命の危機、そして「やっぱり鳥って“恐竜の生き残り”なんだな」と思えるサギの描写は、劇場の大画面で観たかったかも…。それにしても、アリエッティの発表当時から感じていましたが、米林監督は、まさに“ディティール表現の作家さん”であり、長編よりも、こうした短編でこそ、本領を発揮できるのでは…と、思いました。
●「サムライエッグ」は、【食物アレルギー ━ アナフィラキシーショック】に関するもの。この【食物アレルギー】の題材にふれるたびに、私は、1980年代後半に報道された【給食のおそばを食べた結果、そばアレルギーによるアナフィラキシーショックで亡くなった小学生の男の子】のことが頭をよぎります。そのため、冒頭の病院のシーンから、胸が苦しくなりました。しかも、その後に描かれるのは、主人公・シュン君の学校生活とお母さんを中心としたご家族の心遣いの日々。楽しいはずのお誕生会やお祭りが常に死と隣り合わせ…因みに、私の子供の同級生の男の子も、様々なアレルギーのため、給食とは別に、お母さんが毎日、お弁当を届けていました。その男の子は今、立派に成長していますが、本人やご家族の日々のお気持ちはどのようなものだったか…そのため、高畑勲監督から継承したであろう、百瀬監督による【水彩画タッチのしっとりやわらかい映像で、リアルに淡々と紡ぎ出される日常描写】の一つ一つに対し、私は、上記の同級生の男の子のことが重なり「シュン君、そうだよね…お母さん、そしてお父さん、そうだよね…」と、込み上げてくる感情を必死でこらえながら観るはめになりました。そして、突然、襲ってくるアナフィラキシーショック…次々と沸き上がってくる身体の変化の表現は、シュン君の心までも映し出しており、まさにアニメならではと感じると同時に、非常に怖かったです。シュン君が助かり、立ち向かう決意をし、無事に同級生たちと自然教室(河口湖)へ行けたエンディングに至り、ようやく私の気持ちも晴れました。
●「透明人間」は【周りから見えないことで、反社会的な行動をエスカレートさせていった2000年発表の某アメリカ映画】とは対照的な作品。周りから存在を認識されない孤独・空虚さ、そして【上下左右・天地の高低差の移動を通じ、この世から消えそうな状況から必死でもがくように留まろうとする心像風景】を描写した、山下監督による映像表現は、これまたアニメならはでしょう。赤ちゃんの救出を機に、【実験映像】的な暗く歪んだ映像から、ジブリやポノックらしい色彩豊かな映像へと転換した演出には、ホッとしました。比べるのは野暮でしょうが、上記の某アメリカ映画のように【何かというと“アクション”の名のもと、暴力・殺人・流血シーンを“迫力ある映像”として売りにする作品】に懐疑的な私は、ポノックの皆さんには、是非、暴力路線に堕さないよう、否、これらを浄化するような映像作品を作り続けてほしいと思います。
さて、採点ですが…3話とも15分程度だから良かったのであって、長編なら中だるみしてしまったことでしょう。短編だからこそ可能な映像表現の強みがあると思います。他のレビュアーさん達と同様、是非、この【短編劇場】はシリーズ化してほしいです。個人的には10点にしたいところですが…【起承転結のある“劇”映画の体裁をとる以上、観る人によっては、物足りなさを拭えない】という点を差し引き(それでも大甘で)、9点とさせていただきます。