48.《ネタバレ》 実在した天才数学者・ジョン・ナッシュの生涯を描くこの作品だが、ジョン・ナッシュを知らない者はこの映画を「SFめいたサスペンス」と受け取り混乱をきたすが、ナッシュを知る者は「軍事施設に採用される」という事の馬鹿馬鹿しさを楽しみながら、恐怖が作り出した幻との、自分との孤独な闘いを安心して見守る事ができる。
だからナッシュの事を先に知ってしまった者は、この“二通り”の楽しみ方を出来ない人もいるワケだ。
モチロン普通の伝記映画として楽しむのも良いけど、この映画の面白いところはやはり“混乱”にある。
嘘のような本当の話・・・と思いきや、やはり・・・!みたいに観客はナッシュと共に“混乱”する。
「伝記なのか嘘なのかどっちだよ」と。逆に何もかも知らない方が、混乱を楽しむ方がこの映画の醍醐味ではないだろうか。
「数学ですべてを支配してやる」というまるで世界征服を目指すマッドサイエンティストのような自信と傲慢。
そんなナッシュは学生時代の初っ端から挫折を味わう。
だが彼には“心の友”とも言うべき友人が常にアドバイスをくれた。
己の才能に溺れ掛け、不安定な精神。机を窓から投げだしたかったのはナッシュ本人だった筈だ。
また、大声で喋るのが嫌いな彼は、大声で喋りたい時に喋るアリシアに惹かれていく。彼が惹かれるのは、常に自分とは違う人間ばかりだ。それだけ違う生き方が出来る他人に憧れたんだろうね。
ロン・ハワードの伝記映画は、アクション映画のような活劇で常に満ちている。
「数学者の人生」という一見恐ろしく地味な題材ですら、冷戦下における情報戦の中に投げ込むのだ。持ち前の頭脳と閃き、知識で闘い続けるコードブレイカーとして。
ソ連(ロシア)の計画を察知するための暗号解読の依頼。
まるでSFサスペンスのように展開されるスリリングな駆け引きが面白い。
彼を護ったり不安にしたりするエージェント。本当に車に乗って銃をブッ放したり派手なチェイスをしたかったのは、ナッシュ本人の筈だ。
「自分との戦い」で彼は何を得られたのだろうか。ノーベル賞?数学者の権威?
いや、本当の自分と向き合って話し合える友人や家族だったのではないだろうか。