1.「やってくれた」
最新鋭のイージス艦から、赤い爆炎と共に闇に放たれたミサイルの様を見た時、そう思った。
それは、今まで日本の映画ファンが押し潰してきた、ある思いいに対する“答え”を見たからだ。すなわち、「日本ではエンターテイメント大作は作れない」という失望と諦めに対する答えである。
この映画は、そういう長い間の負のイメージを払拭させる力を感じさせる作品だと思う。
ただし、その“答え”は、ただハリウッドのように派手に映像を描きつければいいということではない。もっとも重要なのは、「日本人が日本人を描く」という至極当たり前の要素である。
アクション性豊かなだけな日本映画であるならば、今までにもあっただろう。
しかし、そこに映画としての力強さは無かった。それは、日本人として“日本”という国を描いてこなかったからだと思う。
例えば、1999年の韓国映画「シュリ」にあったのは、まさにそういう要素ではなかったか。韓国という国が、朝鮮民族そのものを見つめ、描いたからこそ、あの映画は世界に興奮を与えたのだと思う。
そのことを、この映画に関わるすべての“表現者”たちは、理解し、見事に体現して見せた。