1.《ネタバレ》 勢いよく飛び出した蜘蛛の糸が、ヒロインを救うために伸びる。
この“スーパーヒーロー”のどの作品にも描かれているお決まりのシーンの筈だが、“糸の先”が必死に伸ばした小さな手のように映し出される様を見て、突如としてその先の“悲しみ”が脳裏をよぎる。
前作に続き、ヒロインを演じたエマ・ストーンが、最初から最後までどのシーンにおいても、可愛く、美しい。
ヒロインのその存在感こそが、この映画の総てだと言ってしまって決して過言ではないと思う。
なぜならば、マーク・ウェブ監督が描き出したこの“スパイダーマン”は、決してヒーロー映画ではなく、若い男女を描いた恋愛映画であり、青春映画だからだ。
前作でも感じたことだが、派手なアクションシーン以上に、おおよそアメコミヒーロー映画らしくないただのデートシーンが矢鱈に印象的ことからも、それは明らかだ。
主人公をはじめ、登場人物たちの行動原理はとても浅はかだ。
約束は守れないし、一度決めたこともその場の気分ですぐに覆す。
彼らの軽薄さと危うさは、そのままこの映画全体の脆さに繋がっているようにも見える。
しかし、僕はその部分こそが、この映画の最大の魅力だと思える。
軽薄さも危うさも、見ていて気恥ずかしいまでの青臭さも、それらはすべて若者たちに与えられた「特権」だ。
常に揺れ動く“不確かさ”こそが、この映画におけるリアリティであり、他の映画にはないオリジナリティだと思う。
特に自覚もなく“大人”になったばかりの彼らが選んだ「道」は、あまりにも堪え難い悲劇だった。
しかし、その悲しみも、後悔すらも、彼らに与えられた権利であり、誰が非難出来ることではない。
ただ、その選択をした“本人”だけが、ひたすらに悲しみ、ひたすらに後悔し、絶望に沈むことが出来る。
だからこそ、絶望の淵から再びマスクを被り、少年の前に立つヒーローの姿に胸が熱くなった。
原作でのヒロインの顛末は知っていたので、“そのこと”自体に対しての驚きはさほどなかったけれど、想定以上にその後の自分自身の落ち込み具合が大きいことに気付いた。
それも、このシリーズが前作から通じて描き連ねてきた、“若さ”に対しての希望と、それと隣り合わせの脆弱さが結実した結果だと思う。
ヒーロー映画としての最大の“タブー”をしっかりと描き切ったこの映画の勇気、その価値はとても高い。