1.過去2作でも強く感じてきたことだが、「反則技」こそがデッドプールという独創的なヒーローの最大の武器である。「そんなのアリ!?」という数々の設定や言動をまかり通してしまう唯一無二のヒーロー像が、このキャラクターの存在感を絶対的なものにしていることは言うまでもない。
そして今回、ディズニーによる20世紀フォックス買収という、ある意味での“大反則技”によって、デッドプール、さらにはウルヴァリンまでもが“MCU参戦”という世界線を構築したのは、このキャラクターが存在していたからこそ成し得たミラクルだといえるだろう。
世界中の映画ファンにとってすでに食傷気味だった“MCU”において、“俺ちゃん”の乱入は、まさしく起死回生の反則技だ。
本作の劇中、デッドプール自身が言及する通り、“フェーズ4”以降のMCUが各作品で描き続けてきた“マルチバース”は、飽和状態となり収拾がつかなくなっていることは明らかだ。世界観に対する興味深さは尽きないものの、その苦痛を伴う“満腹感”によって、MCU離れが生じていることも否定できないことだろう。
そのMCU全体の窮地を、多元宇宙どころか“第四の壁”を突破し、映画世界と現実世界を自在に行き来するデッドプールが“救う”という構図は、結果としてあまりにも的確で、映画史そのものを巻き込んだ見事な文脈だったと思うのだ。
さらに、その「救世主」としての役割を、“デッドプール&ウルヴァリン”というこれまた奇跡的なタッグに担わせたことが、圧倒的な娯楽性と強い説得力を生み出していた。
“ウルヴァリン”というキャラクターは、「X-MEN」シリーズの中で時代と時空を縦断し、苦悩と絶望を抱き続けるヒーローとして描かれてきた。
そのヒーローとしての特徴や能力、性格や背景は、デッドプールと両極端のようにも見える一方で、同時に極めて似通っているようにも感じられる。
本作でも描かれているように、彼らが対峙すれば、勝負は一晩どころか永遠に決着がつかないだろう。しかし、いざタッグを組めば、これ以上強力で魅力的なペアはないということを痛感させられた。
加えて、ウルヴァリン登場の世界線が2017年の「LOGAN/ローガン」に通じるものだったことも、本作の完成度と満足度を大いに高めた要因だった。
他の誰でもなく己自身に傷つき、絶望し、年老いた“オールドローガン”ことウルヴァリンが、最後の戦いと逃避行の果てに“死”という安らぎを迎えるさまを描いた「LOGAN/ローガン」は、個人的に大傑作だったと思う。その“オールドローガン”が死を賭して守り抜いた世界と少女が、本作の多様性と世界観を一層深めていた。
デッドプールという愛すべき反則野郎のもとに集まった“世界に忘れられたヒーロー”たちとの邂逅も、胸熱な展開だったことは言うまでもない。
世界中の映画ファンが「そっちかい!」と突っ込まずにはいられなかったであろうクリス・エヴァンスの某ヒーロー再演や、年老いてもなお格好良すぎるウェズリー・スナイプスのブレイド復活など、MCUが存在しなかった時代からアメコミヒーローを観続けてきた者にとっては、まさに奇跡的な時間だった。
その高揚感は、「スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム」における歴代スパイディの大集合にも勝るとも劣らないものだった。
マルチバースに行き詰まったMCUに対しても、自らを生み出した20世紀フォックスに対しても、劇中で大いにディスり、軽口を叩き続けつつ、デッドプールとこの映画は、最終的にはすべてを許容し、感謝し、愛し、そして前進する。
「過去が今の彼を作った 修正する必要はない」
ラストシーンである人物が放つこのセリフは、過去の失敗や過ちも、それを否定したり無きものにする必要はないというメッセージをダイレクトに伝えている。
その映画としての着地点が、玉石混交のあらゆる世界線を股にかけ、現実世界のメタ的要素も多分に盛り込んだ本作の立ち位置として、とてもとても素晴らしかった。