1.《ネタバレ》 玉木宏の指揮姿に圧倒された。06年頃の少女漫画の王子様そのもののような甘さ、柔らかさが抜けて筋っぽくなった現在のビジュアルが、ストイックなパリの千秋にぴったりだった。男の魅力が出てきた。失われた美に未練はあるが、新たに獲得されつつあるものにも美がある。よかった!
指揮しながら玉木の見せた表情。左右の振りを別々に覚えて、それを合体しているだけだったら物まねだ。インタビューを受けた玉木が、「そのうえ演技も」という「演技」が良く分からなかったが、映画を見たら分かった気がした。本物のオーケストラを映したのでも、上手な物まねでもなく、玉木が「パリ在住の若くて安い指揮者 千秋真一」を演じている。指揮しながら玉木の見せた表情はそのことを納得させた。いや、千秋真一は指揮台の上で一番表現されていた。
指揮シーン以外の登場人物の感情は大部分がギャグで表現される。例えば、のだめの寂しさに耐える姿は、千秋の脱ぎ残したシャツの臭いを思いっきり吸い込むという変態そのもののアクションで示された。言葉も表情もないけど、のだめが健気にがんばっていることは伝わった。これはのだめに成りきっている上野樹里の迫力か。のだめに抱きつかれて千秋の頬が赤くなる。今までならぶん投げていたようなシチュエイションだから“?”という場面だけど、玉木の演技ではなくCGが表現してくれる。そういう作り方の方が観客に解りやすい。
今までの映画は、どれほど圧倒的なアクションシーンがあっても、それだけでない何かがあって、それらの総合から映画の感動は生まれてきた。「ベン・ハー」然り。「男達の挽歌」然り。その映画を見た喜びは、有名なアクションシーンにではなく、主人公の人生に立ち会えた所にある。映画ってそういうものだったろ? しかし、「のだめカンタービレ最終楽章前編」は、指揮のシーンがすべて!そういう映画。それでこれだけ感動した。映画の感動のありかが変わってきているような気がする。(「後編」と揃えばまた違う味わいがありそうだが‥。)
玉木は、シンクロを、ギターを、指揮を、どうせツクリモノというレベルで役者に期待される以上の努力を重ねて、結果を出してきた。29歳の現在、玉木はそういう演技者(表現者)として存在している。30代を迎えて“明日はどっちだ?”