1.子どもが育つということは、ただその事実のみであまりにもドラマティックだ。
それは、どんな形であれ、子どもを育てた経験がある人、もしくはその真っ最中の人ならば尚の事、身に沁みて感じることだろう。
ただ、そのドラマは普遍的であるからこそ、映画表現としてそのまま描くばかりでは、退屈なものになってしまうことは避けられない。今作の序盤はまさにそんな感じだった。
「あ、やっちまったか?」と、序盤から中盤、いや終盤近くまで正直思った。
個人的に、細田守監督の前作「バケモノの子」の満足度が、それまでの過去作と比較すると随分と下回っていたこともあり、今作については鑑賞前の危惧が大いにあった。
予告編等のインフォメーションを見ても、今ひとつ「面白そう」だとは思えなかった。タイトルやキャラクターの台詞から、なんとなくありきたりなストーリーラインを思い浮かべてしまっていたのだと思う。
そんな思いの中で展開されたものが、想像以上に間延びした幼児の成長譚だったものだから、「危惧が的中したのだ」と意気消沈してしまったことは否定できない。
しかし、だ。この作品は、終盤にある種「異様」とも言える転じ方を見せる。
即ち、退屈と困惑からの、カオスとエモーション。
アニメーションは秀麗ではあるけれど間延びし、ありのままの幼児像に少なからずの不快感すら覚え始めていたそれまでのストーリーテリングが、時空と概念を超えて“ファミリー・ツリー”として集約され、眼の前がぱっと明るくなり何かしらが覚醒したような感覚に包み込まれる。
気がつけば、抱えていたはずのフラストレーションは霧散し、特異な充足感を感じていた。
冒頭から山下達郎の爽やかなテーマソングが流れ、いかにもなファミリームービー的な導入で始まる映画ではあったが、今作は決して万人受けするアニメ映画ではないだろう。少なくとも、大いに困惑し、最終的に腑に落ちない点も多々あると思う。
しかし、この映画が語るものが「家族」であることはやはり間違いなく、その主題を“根幹”に据え、「子が育ち、命を継いでいくこと」の意味と価値を示したこのいびつなアニメ映画は、結局のところこの季節に相応しい。
やっぱり、細田守のアニメーションは、夏がよく似合うと思える。
我が家の娘と息子も、笑いながら、泣きながら、文字通りすくすくと成長している。
その日々が、「未来」につながり、ファミリー・ツリーの枝葉を伸ばしていくのだと思うと、胸を熱くせずにはいられない。
うちも庭先に何か木を植えようか、と思うのだ。