2.《ネタバレ》 ジョン・クラカワーの原作はクリスのアラスカ入りまでの放浪生活を追い、彼が出会った人々を広く取材して、その行動と言動を丹念に拾い集める。このノンフィクション・ノベルは一人の青年のセンセーショナルな死を出発点としているが、クリスという一風変わった、それでいて実に魅力あふれる青年の生き様を様々な角度で描き抜いていることが最大の面白さであると感じる。
クリスの人物像。彼は単なる自分探しを求める夢見がちな若者の一人ではなかった。トルストイとソローをこよなく愛する厳格な理想主義者で孤独と自然を崇拝し、それでいて真に文学的な青年でもあった。理知の上に立つ無謀さ。心に屈折を抱えながらも自らの強さを過信するが故に様々なものが赦せなかった青年が2年間の放浪の中で、そして荒野での生活によって徐々に変化し、生きる可能性を掴む。人々とのふれあいの中で心を残す。最終的に彼は死んでしまったけれど、彼の生は、彼と出会った人々の心に確実に生きている。そのことが伝える生の重みを原作であるノンフィクション・ノベルは拾い上げ、そして映画が主題化し物語として紡がれた。
映画は正にショーン・ペンの作品となっている。原作はクリスという人格を外側から炙り出すパズルのような構成となっているが、映画はクリスという実体の行動を中心にして話が進められる「物語」としてある。原作によって炙り出されたクリスという人間像をショーン・ペンは自らの思想性によって肉付けし、物語の主人公として見事に再生させた。映画は、70年代ニューシネマ風のロード・ムーヴィーとして観ることができるだろう。ニューシネマの掟通りに主人公は最後に死んでしまうが、そこには明らかに「光」があった。この光こそ、ショーン・ペンの映画的主題である現代的な「赦し」の物語なのだと僕は思う。クリスが真実を求めた先に見えたものは、ふれあいの中で知った人の弱さであり、そして大自然に対した自らの弱さであった。彼は自らの中で家族と対話する。自分が自分であることを認める。そして、全てを赦したのだと僕は思う。そういう物語としてこの物語はある。
現代に荒野はもう存在しない。彼は地図を放棄することで荒野を創出し、その中で自らの経験によって思想を鍛錬しようとした。荒野へ。理知の上に立つ無謀さ。これこそが失われかけたフロンティア精神の源泉で、現代の想像力を超えた強烈な憧憬なのかもしれない。