7.傑作。恋愛映画、それも腐れ縁映画。引き込まれてしまう。ただ、現実世界では、こんな奴らとは付き合いたくない。でも、映画は映画。何度見ても、見終わった後、ため息。そして、初めの方の白いブラウスの秀子さんに、今回こそ幸せになって欲しいと願ってしまう。森雅之のグダグダ感。惚れてしまうのだろうなあ。二人は、戦時中の幸福感があるもの。勝っている時の戦時中は楽しいということも表現している稀有な映画でもある。良し悪し、正義・不正義と分別している世界とは違う、ある意味グダグダ映画。岡田さんも色っぽい。必見。 【にけ】さん [映画館(邦画)] 10点(2018-12-22 23:42:40) |
6.《ネタバレ》 正直若い頃にこの映画を見た感想は「退屈」、それしかなかった。「稲妻」「おかあさん」「乱れる」を観ていてじゃぁこの傑作に!と臨んだらこれだ。あり得ないくらいの暗いトーンに繰り返し流れる重苦しい音楽。森雅之が演じる富岡の屋久島赴任に伴う高峰の「私も連れてって!」に関しては最後憤怒の情すら湧いた。なんじゃそら。ところが今日この映画を見直して本当に胸うたれた。年を経れば経るほど恋愛には不安や暗い面が伴うこと。と同時に若き日の想い出はなぜか明るく楽しかった事しか覚えていないこと。昔の想い出から抜けきれないまま(日光のあるシーンというのが過去の赴任地=インドシナの想い出のみというのが深い)、どこまでも墜ちてゆく彼ら二人とそのような世界を構築した監督成瀬の凄みを感じてしまった。無駄なベッドシーンばかり挿入し「性欲まるだしでーす」みたいな不倫を取り扱うばかりの今の邦画界はこの映画を観て、猛省していただきたい。同じ時期に大石先生とゆき子を演じていた役者高峰の素晴らしさ(この人の魅力は顔もさることながらあまり美声とはいえない「声」)もあるけれどやっぱり森雅之の演じた富岡=邦画史上どの役者も真似できない、役柄の造形につきる。高峰さんの訃報を受けて書いたこのレビュー。今頃天国では成瀬&木下監督が早く高峰さんと新作を撮りたいとウズウズしているよ!改めてご冥福をお祈りします。 【Nbu2】さん [映画館(邦画)] 10点(2011-01-01 13:07:26) (良:3票) |
5.最初二十歳前後に観たときには、暗いばかりで、なんとも思えなかった。ところが、三十越えてふたたび観たときには、うちのめされるように感動して、どうしようもなかった。うちのめされるという言葉が、まさにふさわしかった。みなさんも三十、四十越えてから、もう一度観てみてください。 【goro】さん [映画館(字幕)] 10点(2005-09-19 03:28:44) |
4.高峰秀子は本当につらそうに泣く。同情をかうためやストレス発散、感情失禁といった涙ではなく、また悲しいからでもなく、つらさのあまり崩れるようにして泣く。 【駆けてゆく雲】さん 10点(2003-12-27 23:19:45) |
3.夢のような過去と退廃した現在の対比が素晴らしいです。どうしようもない富岡を愛してしまったゆき子の運命って悲しすぎる。富岡を愛すことに自分の生きる意味を見出していたのかと思うとつらい。そんな二人を森雅之と高峰秀子がとてつもない演技でみせています。 特に森雅之には独特の官能性があり、現代の俳優には決して見出せないものではないでしょうか。私の最も好きな俳優の一人なのです。 やるせなさを描かせたら右に出るものはいない成瀬巳喜男の伝説の作品といえます。ほんとにつらい、つらすぎる話です。 屋久島のイメージが変わってしまいます。あのぼろい家がなんとも印象的です。 【たましろ】さん 10点(2003-11-26 23:23:18) (良:1票) |
2.どういうわけか“女が大泣きする芝居”が好きで、「飢餓海峡」が好きなのも左幸子が大泣きするシーンがあるからだし、「サンダカン八番娼館」を何度も観てるのも田中絹代の泣きの演技が見たいがため。「浮雲」が好きなのも同じ理由で、高峰秀子の泣きっぷりがあまりに見事だから。またあの悪声でしょう、とにかくリアリティがあるんですよ。“洗練”って決して美徳じゃないよな。昔の日本映画を観ているとしばしばそんなことを考えさせられます。 【じゅんのすけ】さん 10点(2003-07-05 15:21:54) |
1.『アデルの恋の物語』でも書きましたが、ダメな男をひたすら愛し続ける女の悲劇を描いた傑作がここにもありました!灼熱の太陽がふり注ぐインドシナから始まって、冷たい雨の降り注ぐ屋久島までの道程を「やるせなさ」の名匠・成瀬巳喜男があの小津安二郎もため息をつくほど見事な演出で描いています。 【なるせたろう】さん 10点(2003-01-11 14:44:54) (良:2票) |