7.《ネタバレ》 自分が観たかったエイリアンはこれだ!と狂喜したのがこのシリーズ。
前作3の喪失感を一気に払拭してくれた。
エイリアンに対する変態チックまでに濃密な愛情がこれでもかといわんばかりにあふれてくる。
「エイリアン」の為の映画なので、クローン技術など設定の細かい矛盾点はここでは追求しないことにする。
4でのエイリアンの捉え方は人の手の中から始まる。
博士ら「飼い主」はエイリアンを自らの手で再生し育て造り上げるが触れることは出来ない。
あまりに危険な作品であり生物兵器であり子供でもあるエイリアン。
2では防御のための防弾ガラスが、4では会い交われない隔たりに変化しているのが興味深い。
ああ、なんて狂気の浪漫。私の感情はあの偏執的な博士のそれと一緒でした。(変態と呼ばないで)
そしてエイリアンとの融合と抱擁。観ていてゾクゾクしました。それでも人間側として自らの生存を選びニューボーンを始末するリプリーの涙。ああ、悲しい。ニューボーンの断末魔が心から悲しいと感じてしまうのは何故。ニューボーンがエイリアンでもあり、人でもあるからだ。リプリーとニューボーンは対極でありまた一番近い存在の生物。
200年ぶりに地球に降り立つリプリーは人間の殻を保っているが、人間ではない。
リプリーという姿を借りて地球に降り立つエイリアンでもあるのだと思うともうね、たまらない。繰り返しますが変態と呼ばないで!