7.《ネタバレ》 私は声を大にして言いたい!このたび『ベティ・ブルー』がブルーレイで発売されたので、何の迷いもなく購入。画質は明らかにDVDよりもクリアになっており、音質も良いような気がする。ところが、あれ?ゾーグのち〇こにボカシがかかってる。確かDVDでは無修正だったような…。でも男のち〇こなんか別に見たくないから、まあいいか…。が、しかし!ノーパンのベティが大家を突き飛ばすシーンでも、彼女の股間にちょこちょことボカシが入ってる。どおゆうわけだ、これは!?『ベティ・ブルー リニューアル完全版』DVDの解説では、『完全版』の日本公開時にべネックス監督自ら映倫に抗議し、(ほぼ)無修正でDVD化が実現したという旨のことが書かれていた。当然、べネックス監修と銘打たれた今回のブルーレイも、(ほぼ)無修正で収録されているものと思っていた。ところが、蓋を開けてみれば、劇場公開時と同じボカシ入り。これではほとんど詐欺である。正直、ボカシのあるなしで映画を評価したくはないのだが、この作品にとってはかなり重要な問題であり、芸術映画とポルノを混同しているバカな映倫(と、ブルーレイの販売会社)には猛省を促したい。もちろん作品評価は10点である(よく見たらブルーレイのジャケットにちっちゃく「修正版です」と書いてあった。そういう大事なことは大きく書いておけ!)。 【フライボーイ】さん [ブルーレイ(字幕)] 10点(2013-02-14 21:54:58) |
6.《ネタバレ》 ラストシーンの猫に泪。楽曲もすばらしい。 【翼ネコ】さん [DVD(字幕)] 10点(2009-11-17 11:23:22) |
5.おれの知る中で最高の恋愛映画です。女性ならもっともっとこの映画を理解できるのかもしれないと思いました。抽出して凝縮した愛というのは狂気に近いものなんでしょうね。 【Balrog】さん [DVD(字幕)] 10点(2008-04-13 00:58:06) |
4.《ネタバレ》 映画的というより絵画的、文学的ですね。音楽的でもあります。アートといってもいいかもしれません。映画的手法はいたってオーソドックスです。物語は時間の流れに沿ってそのまま構成されていますし、視点はゾーグに張り付いたきりです。凝ったカットワークもありません。それで3時間ずーっと引き込まれるというのはすごいことです。ひとつには「熱い」ということ。主演のベティーちゃんとゾーグ君はものすごく熱いですが、ピザ屋のストロンボリ氏、肉屋の奥さん、作家くずれの署長さんなど周囲の登場人物も負けずに熱い。題名どおり37.2℃はありそうです。なによりこの映画のスタッフが「熱い」思いで撮影に臨んでいるのがびしびし伝わってきます。監督の情熱がこのまれなる傑作の原動力になったのは明らかです。いまひとつは、「熱さ」と対局にある怜悧な映像。ほれぼれするような冷気に包まれ呆然と画面を眺めるしかない、そんな映像がベティーちゃんとゾーグ君の物語を塗り込めることによって、単純なストーリー展開にものすごい起伏を与えています。作者のなみなみならぬセンスを感じます。忘れるところでした。音楽も涙出ます。 【ただすけ】さん [DVD(字幕)] 10点(2006-05-01 01:06:10) |
3.まったく長さを感じませんでした。それはやはり二人の愛があまりにもストレートすぎたからかでしょうか。色んな美しさをみせてくれたこの作品、間違いなく僕の中では10点満点の作品だと思います。 【アンリ】さん [DVD(字幕)] 10点(2006-01-17 23:13:43) |
2.完全にぶっちぎったカップル。行き過ぎた一途。報われよーない。 どうしようもない。でも誰にも助けなんて求めないし、ワカってもらいたがる普通(?)の人たちとは違う。周りなんて気にしない。平均何点だろーが僕は10点。気にしない。 【ヒロヒロ】さん 10点(2004-06-22 22:46:58) |
1.《ネタバレ》 これはゾルグとベティの愛の物語である。ゾルグの受難でもベティの破滅でもない。ゾルグはベティを受け止めたのではなく、ベティは自己崩壊を起こしたわけでもない。そんな事じゃない!ベティはゾルグを愛する事で生きた。そして、それと同様にゾルグもベティを愛する事で生きた。ベティと出会うまでのゾルグはゾルグではなかった。アドルフの回想録を書き、人生に横を向いた傍観者でしかなかった。そんな彼が、ベティを愛すことで人生に真正面からぶつかってゆく。それまで道なりだった人生は一変する。人々はみな善良で、滑稽で、愚かである。日々は退屈で、虚無に満ちている。そんな中で、ベティとの愛だけが輝いている。しかし、その至高の愛はその純粋さ故に食い荒らされ、朽ちてゆく。ベティは心を病む。3人の警官、雇い主、白皮症のボブと妻、さらにリサとエディでさえも、彼らの愛を食い荒らす愚かな人々に過ぎない。そして、ゾルグは気付く、自らもその愚かな一人に加わっていたことを。ベティの純粋さと、自らの愚かさの狭間でゾルグは悩む。ベティはあまりに純粋で、張り詰めて、二人の愛にはどんな夾雑物も許されない。この愛は内側から崩れたのではない。全ての愚かな物が二人の愛を朽ちさせたのだ。ゾルグは自らの手で、愚かな人々に汚されたベティの息を止める。しかし、決して後悔はしない。何故なら、それをベティが望んでいることを知っているから。"信じる"とは別の次元で、彼は二人の愛が永遠であり続ける事を"知っている"から。だから、彼は自らの命を絶ったりなんかしない。彼は虚無から立ち上がり、ベティに捧げる小説を書き始めることができる。ベネックス監督は愛の対極に「愚かさ」を置いた。そして、ベティは、あまりに純粋すぎた、それだけである。 【fero】さん 10点(2004-02-23 21:34:25) (良:1票) |