1.[1]思うに、ジェ-ムズ・キャメロン監督の『タイタニック』でぼくが最も印象的だったのは、主演の2人が手を広げる例の「名場面」でも、沈没の大スペクタクルシーンでもない。それは、タイタニック号の機関室で巨大な歯車とピストンが蒸汽によって動く、ほんの短いシーンなのだった。あの、すべてに壮大だがどこか空虚(だと、ぼくには思えた…ファンの方々すみません)な映画の中で、ほとんど唯一と言って良い「リアル」な映像の手ざわり。…今回、大友克洋の最新作を見ながら、何よりも連想したのが、そんなキャメロンがかろうじてなし得た巨大メカの質感であり、その質感から実感させる「リアルさ」だ。何も、精巧に創り上げたからリアルさが産まれるのではない。それが「映像(=イメージ)」として強度がある・見る者の感性を揺るがす・“生きている”からこその「リアル」だ。そして、それこそが映画の《本質》だと信じる者にとって、コノ『スチームボーイ』は、まぎれもなく「映画」」そのものとして、例えば『タイタニック』を遥かに凌駕していると、ぼくは思っている。
[2]確かにこの作品の、物語や、その語り口の“欠点”をあげつらい、批判するのは易しいかもしれない。そもそも、何故『AKIRA』を撮った大友がこんな映画を撮らねばならないんだ、と。
それについては、ぼくなりに、“これは手塚治虫『アストロ・ボーイ』への「返歌」であり、大友なりのオマージュなのだ”と思いたい。手塚的ヒューマニズムと世界観への、批判的継承を果たそうとしたものとして見た時、あの父子3代の葛藤の物語ひとつとっても、『スチームボーイ』は、感動的な、あまりに感動的な映画として屹立する。
[3]ぼくの「満点」評価は、あくまで以上の「極私的大友克洋観」の所以であることを(というか、ぼくの場合そんなのばっかですが…)ご承知おきください。