2.《ネタバレ》 「天使のごとき」純真性の象徴的少女と、川向こう岸に隔てられ少女のほうに渡れず渡ろうともせずに去っていく主人公の姿に、込められた暗喩…。などといった演出に「高尚」だの「芸術的」だのと陶酔する楽しみ方は自分には合わないとあらためて痛感。
こういった暗喩技法の数々がそこまで素晴らしい物とはどうにも思えず、ネオリアリズムからの転換だの言いながらこれみよがしに芸術臭を狙っている陳腐さにひたすら鼻白む。
そんな下らん技法の数々に興じたりする以前にまずどうでもいいシーンの数々、冗長にも程があるだろという「年寄りの小便」のごときダラダラ撮ったまんまフィルムを、まずは推敲し、絶妙の尺具合に切りとってみせる、映像作家ならば最低限のセンス作業をこなしてみせてナンボである。この老害ひねくれ監督はその最低限作業を放棄した。高尚ゲージュツという名のもとに。
それが「あえて」だろうが何だろうがこんな独り善がり陶酔ヨッパライ爺のダラダラ小便を3リットル3時間以上など愚の骨頂。
「この放尿3時間こそ本作品の妙であり」云々「これが分からんとは物のわからぬ輩」云々とタチの悪い悦に入る裸の王様の信者連中もまとめて一切関わり合いたくない。
ローマという魅力ある街を使ってこれほどまでくだらない酔いどれの悪臭漂う尿瓶3リットルを「さも高貴芳醇なありがたき白ワインのごとく」うやうやしく後世へ注ぎ継いでいる信者ども&老害教祖の茶番劇場に冷ややかに拍手を送らせていただく。
典型的こじらせジジイとその一派に感心させられる意味で嘲笑を込めて投げつける1点。