6.エンドロールが流れ始めた瞬間、すべての思考が止まってしまった。
これが、あの宮崎映画なのか…。
渦巻く困惑と落胆。脳裏を振り絞って、映画を振り返り、納得のいく“感想”を導き出そうとしたけれど、結局何処にも辿り着けない。
「まさか、そんなことが…」と疑いを消し去れないが、一個人の結論とするならば、“この映画は成立していない”。
はっきり言って、支離滅裂も甚だしい。
圧倒的なビジュアル、美しくファンタジックな空気感、しかし、あるのはただそれだけだ。
それらしい雰囲気とイメージを幾重にも折り重ねただけに終始する。
一見魅力的なキャラクターは、躍動的に動き発言する。
しかし、その言動のあちこちで“根拠”と“理由”が欠如し、人格そのものが最終的に軽薄になってくる。つまりは、物語になっていないのである。
木村拓哉が声優をやることの是非、倍賞千恵子が少女の声を演じることの違和感、どうにも内容が伝わってこない予告編、公開前の不安要素はいろいろあった。
しかし本当の問題はそんなことではなかった。
「千と千尋の神隠し」で抱いた一寸の不審がいよいよ増幅する。
“もう宮崎駿に想像性に溢れた「物語」を紡ぎ構築する創造力は無いのではないか?””テーマ性のみをただ広げる「内容」を展開するだけで精一杯なのではないか?”
………………いや信じない。
なぜなら、宮崎映画によって映画を観るということの“快感”を育んだと言って過言でない者にとって、それ以上の悲劇は無いからだ。