1.無駄に氾濫する説明台詞に、その会話が始まると同時に鳴り出す説明調のBGM。
このパターンが全編にわたって続く。
おまけに語り手自らが感傷に溺れきったナミダナミダの鬱陶しい表情芝居の羅列と、
手とり足とり。これは幼児向け番組か。
思い入れも過剰にキャラクターに寄りすぎのカメラは引くことを知らず、
ダラけた脚本は、省略というものを知らない。
一枚の写真は最後に一度だけ効果的に見せれば十分だろう。何度も見せる気が知れない。
橋爪功の知るはずのない、一夜の帰宅シーンのエピソード。
なぜ、それをあたかも橋爪のフラッシュバックのごとくに視覚化し、
現在シーンの三浦春馬らのショットへ繋げるのか。
ここも、後半の井上真央に語らせればすむだけのシーンだろう。
見せるばかりが脳。見せないことで語るということをまるで知らない。
いくらシネコン映画とはいえ、観客をなめすぎではないか。