1.今年になって原作漫画をLINEマンガで読んで、二人の高校生が醸し出す独特な空気感が癖になった。
絶妙な間と台詞回しによって織りなされる「会話」は、関西弁であることも手伝って「漫才」そのものの可笑しさと巧さに溢れている。
とはいえ、「映画化」というトピックスを見たときには目を疑った。この「会話」のみの漫画をどう映画として成立させるというのか。
予告編を観た段階では、キャスティングされた池松壮亮と菅田将暉はハマっているように見えたし、面白く仕上がっているようには感じた。
だがしかし、結論からすると、やはり「なぜ映画にしたのか」という出来栄えだった。
結局、この題材を長尺の映像作品にするには無理がある。
“帰宅部の男子高校生の暇つぶしの会話”という極めてミニマムな題材を各話20ページ程度の“小話”として連載しているからこそ、この原作漫画は面白いのだ。
映画にするには、その小話を連ねて尺を補うしか無く、必然的に冗長に感じてしまい、可笑しさが持続しなかった。
予告編の段階では、各話のシークエンスが断片的に公開されていて、それを観る限りでは笑えたし、映像化による臨場感も加わっていた。
詰まるところ、映画ではなく、もっと短いコンテンツとして製作されるべきだったのだと思う。
深夜ドラマ枠なんかで5分きっかりの尺で連続ドラマ化したならば、原作の空気感がもっと忠実に醸し出されたんじゃないかと思える。
75分という映画としては短いと言える尺を、非常に長く感じながら、“神妙な面持ち”にならざるを得なかった。