6.《ネタバレ》 時代を描き切れいていない。
この一言に尽きると思います。
確かに、作画などは前作と比べれば雲泥の出来ですが
しかし「ただそれけだけ」です。
バンカラ的、歌声喫茶風なやり取りなど
時代性を表す演出は随所に盛り込まれていますが
悲しいかな、宮崎吾朗氏はその世代ではない。
監督を補佐している若いスタッフ(麻呂氏とか)も違うでしょう。
その時代を知っているからこそ
描きたい、作りたいと思える熱意の様な物が
この作品からは全然感じられない。
だから違和感を感じるのです。
例えばある場面では泥臭いバンカラな若者が
有る場面では完全に現代風のある意味で綺麗で冷静な若者に摩り替わる。
「はぁ?」
こういう所が随所に見て取れるのです。
場面設定や背景も妙に小奇麗過ぎる。
未舗装の道を車がひっきりなしに通るその横を歩けば
砂埃が舞う訳ですし、服も汚れるのです。目も痛くなる。咳も出る。
ズボンをはたけば、けむが出るぐらいに汚れるのです。
またこの時代は夕方ともなれば青ッパナを垂らした子供(私の世代)が
そこら中の通りに群れていたはずです。
そういう描写も殆ど有りませんでした。
あと、カルチェラタンという部室棟を存続させたいという話ですが
カルチェラタンを汚いまま、ありのまま残すべく
学校側へ存続運動を展開してゆくなら分かりますが
建物を綺麗に掃除して外観も補修して立派にして
ある意味では「残して貰うべく運動する」などという事は
当時のバンカラ的な気風から言っても真逆です。
擦り切れた学帽を被り、わざとヨレヨレの学生服を来て
通りを睥睨して歩き、大人には無茶な議論を吹っかけ
未熟でも中身で勝負するのが当時のバンカラ学生でしょう。
つまり、建物の見てくれなどはどうでも良く
そこに集って何かをしている部員達の行動が尊いのです。
部の歴史や、その蓄積が尊いのです。
そういう部分がまるで取ってつけた様で
本当に未消化に終わっていて、私はどうにも納得が行きませんでした。
確かに父親である宮崎監督の意図する所からは
はみ出せないのでしょう。監督の方から色々と指定も有るのでしょう。
しかし、そこを抗ってでも喧嘩してでも
自分のやりたい様にやるのが、アニメ監督の責務なのでは無いでしょうか?
それが出来ないなら辞めた方が良いですよ。