1.宮崎あおいが写真家の設定であり、病院屋上で加賀まり子と看護スタッフの集合写真を撮る彼女を正面から捉えたショットがあるならば、それに対応した記念写真のショットは説話的にも映画的にももっと効果的に活かされるべきだった。
『半分の月がのぼる空』で忽那汐里の笑顔の写真を感動的に導入してみせた深川栄洋なら尚更だ。
キャラクターの職業設定がまるで活かされないため、彼女の映画的存在性はますます希薄となる。
それは彼女だけに留まらない。原田泰造、岡田義徳、そして本来なら現代版『赤ひげ』たるべき柄本明も同様である。
本作が医療のドラマとしても薄弱なのは、「処置」の具体的なアクションがまるで描かれないからだ。ひたすら善良で美談づくしの脚本であったとしても、医師・看護師の実働が具体的に画面に載っていればそれは十分に説得力を獲得する。
しかし、この映画では「緩和ケア」も「優れた資質」もほぼすべてが説明台詞のみで処理されてしまう。モニターチェック一辺倒の櫻井翔はもちろん、吉瀬美智子も池脇千鶴も労働らしき所作を全く行っていない。ゆえに絵空事感が増す。
夫婦間の家事労働も然り。にわか雨で洗濯物を取り込もうとするショットや、住人たちが調理する描写はわずかにあっても、何の料理を作っているかすら判然としない。
(せめて、櫻井のおにぎりを握るくらいの描写は欲しい。)
結果的にいずれのキャラクターも「生活者」としての実存性が非常に乏しく、空虚なファンタジーに堕している。
櫻井・宮崎の交わす文語体の台詞は、日本語自体の美しさの復権を試みたものだろうと好意的に解釈は出来る。
が、大林宣彦の『なごり雪』ほどの過激性もなく、役柄からさらに生活実感を失わせるだけの結果に終わっている。