5.感動の静寂を破るようで、申し分けないでがんすが、、、、、、、、。バラバラで支離滅裂な作品にしか受け止められませんでした。、、、、、幾度か緊張感のある展開になるものの、その緊張感も、すぐに潮が引くようにだらだらしてくるし、、、、、、前半は、いじいじしていて寅さんだし、、、。で、結局、何を描いた映画なのだか??、、編集が悪いのかなぁ??、、、、、レッドカーペットの上で山田監督は、「人を殺すことの怖さを、ほにゃらら」とのたまったらしいですけど、餓死した農民を二体、プカプカ浮かせて、死んだ役人に蠅をたからせ、清兵衛本人から家老に、人を殺すにはほにゃららと語らせた以外に、それに該当する部分はどれだけあるのだろう。それにもしこの映画の真意がそこにあったのなら、朋江は幼なじみの出戻りである必然性はないし、竹光と知っての余五の豹変を無理矢理とってつける必要もないはずで、、、、、。山田監督は、授賞式に向かう飛行機で、オスカーをとった時のスピーチ原稿を一生懸命に準備していったそうですが、「人を殺すことの怖さ」なんて、その時考えたことではないのかしらと思えます。本当に「人を殺すことの怖さ」を描きたかったのなら、時代劇である必要性なんぞ全くないのではないでしょうか。、、、、、では描いたのは平凡な人生??、、、、清兵衛のどこが平凡なのでしょう。十分に劇的な人生を送っていると思います。それに、世間一般の外見的基準からは平凡でも、それぞれの人の人生は、その人にとっては十分に劇的であるはずだと私は思います。春の香りを感じたり、再び桜を見て経過した一年を思ったり、昔の知り合いの近況をきいてびっくりしたり、それだって十分に劇的なことではないでしょうか。、、、、、、、要するに、庶民の心の機微を描いてきたはずの人が、オスカーをほしがるようになったらおしまいでごんす。