2. ドストエフスキーの原作が、重い、奥深いのは充分わかったが、私の見たい「映画」ではなかった。
小説は、作者の信条、心理、訴えたいことを、読む側が文章から深く読み取り、噛み砕き、自分の感性と対比させて吸い取ることで成り立つ、すなわち読者が積極的に理解するものであるのに対して、映画は、監督が見せたい物を映像と音を使って観る側に送り込むことで成り立つ、すなわち観客が受動的に感性で受け入れるものであると思って、私自身それぞれ楽しんでいる。
監督は、この重い、深いテーマを、映像、役者の演技を使って見せたかったのだろうが、「映画」を楽しみたいのに、監督の映像、役者の演技が凄い分、原作の重いテーマを無理やり押し込まれた感じで、小説を解説付きで読まされた感が拭えない。
テーマがもう少し単純で明快な小説だったら、映画として監督の押し付けがあっても、小説が単なる原案で、それを監督が「映画」としてオリジナルの作品を作ったという形態となって、違和感はなかったかもしれない。
しかし、この作品のテーマはあまりに重く、深すぎた。重い、深いことが充分に伝わる監督の映画的手腕、役者の演技が凄い故に、原作のテーマの重さ、深さを無理に映像で送り込まれるような違和感を感じてしまう。
文学作品としては、きっとすごい映画なのだろうが、「映画」そのものを楽しみたい私には、この映画は辛い。