16.《ネタバレ》 これは、矢張りとんでもない作品なのではないでしょうか。
ここまでズタズタにされながら、なおも作品としての生命力を
保ち、且つ圧倒的な精彩を放ち発散させている事は奇跡に近い
驚きである。もう一つの驚きは黒澤の精神的体力の強靭さである。
ドストエフスキー作品の根底にある人間の根源的な、最終地点で
否が応でも突き当たる「魂」としか呼び様のない、のっぴきならぬ厳粛な物と
格闘し、ここまで描きまくるとは、恐るべき腕っ節である。圧巻は、矢張り
亀田と赤間が妙子の亡骸と共に一夜を過ごすシーンである。「これで、もう、
彼女は何処へも逃げない」という束の間の安堵感で二人は少年の様に
なってしまう。蝋燭の灯だけの寒く薄暗い部屋の中で二人は、恐ろしく、
それでいて何処か甘美な秘密を共有して、なにやらワクワクしてきて興奮する。死臭を心配しながら。そして、夜明けと共に二人はこの世で一番崇高でいとおしい者の傍らで
遂に「真っ白」になってしまう。私はこれ程まで可憐で美しく、それでいて高潔で厳粛な
センチメンタリズムを他に知らない。まさに黒澤がドストエフスキーその物を描き切った
名シーンである。それにしても、この全篇に漲るテンションの高さは如何だろう。ややもすると大仰に映る黒澤作品の中でも突出してハイテンションである。一つ間違えると、
役者の動きや表情の演技などは、ギャグ ホラーになってしまいかねない危うさがある。
現に私などは、久我美子との直接対決の時の原節子の顔が昔の楳図かずおタッチ
なので、余に怖すぎて吹出しそうになったくらいである。しかし、このテンションの高さは
ドストエフスキー物には不可避なのであることは、原作を読んで頂ければ納得して
もらえるだろうと思う。ただ一つだけイチャモンをつけさせていただければ、ナスターシャ
の解釈にほんの僅か違和を感じた。「本当はこの娘、いい子なんだよ!」というのに対して、もっと「つっぱね返し」を強調しておいて、でも、やっぱり、時折チョットした切っ掛けで如何仕様も無く且つさりげなく弱さと優しさが溢れ出る方が、キャラの奥行きが
深まったと思うのだが、如何だろうか?余に素直でおセンチ過ぎるきらいがある。しかし、そんな事はたいしたことではない。
この黒澤の青臭いまでのドストエフスキーとの取り組みと、ある種の「危うさ」を
含め、私は断固この「白痴」を支持する!