1.《ネタバレ》 原作は当時話題になったそこそこのベストセラーだったと記憶しています。その原作を映画製作会社としてはほとんど死に体だった東宝が『新幹線大爆破』の二番煎じとしてチョイスして映像化したわけですが、観て判ったのは原作がやはりヘボだったのが失敗の原因だったということです。“不偏不党”“明るく楽しい”がモットーだった東宝がこんなコテコテの社会派映画を製作したと言うところに、当時の追いつめられていた邦画の状況が窺えます。 とにかく近藤正臣が演じる犯人の、いくら犯罪素人とは言ってもその杜撰さはちょっと酷い。大きく筆跡が判り易い字で脅迫状は書くし(おまけに指紋がベタベタ付いている)、国鉄総裁の自宅に堂々と談判しに現れるに至ってはもう笑うしかありませんでした。あまりに簡単に田宮二郎たち警察に見破られるので、これは何かの伏線で後半でどんでん返しがあるのかと思えばそれもなし。この映画のいちばん嫌なところは、 “正義のテロなら許されるんだ”と言いたげな、いかにも全共闘チックな浅薄極まりない視点です。そのために誰にも文句が付けようのない新幹線騒音公害をダシに使ってる様で、気分が悪くなりました。これなら動機が純粋にカネ目当てだった『新幹線大爆破』の健さんの方がまっとうに感じるぐらいです。ちょっとした悪戯でもすぐに止まる現在の新幹線を考えると、あんなに大々的に実行日まで予告しても新幹線を運行するというストーリーも、ちょっと理解不能です。だいいちその日は誰も新幹線を利用しないでしょう。まるで新幹線が一日止まれば日本の社会が崩壊するかのような妄想じみたプロットで、これはもう清水一行の原作小説じたいのレベルが低かったということに尽きるでしょう。 増村保造も70年代になってからはめっきり監督としての腕が落ちてきたなと実感させられる一篇でした。