1.《ネタバレ》 この『永遠の0』の原作者・百田尚樹と監督・山崎貴は非常に近い製作姿勢であると思っています。つまり受け手の無知を前提に置き、全てを懇切丁寧に押し付けがましく描写しているということです。今回は映画のレビューなので映画に限った話に留めます。
これまでの映画でもそうであったように、山崎貴は感動的な音楽と過剰な説明的台詞、泣きの演出で観客の感情を無理矢理にでもコントロールしようとする監督だと私は思います。本作でもその作風は健在で、あらゆる場面で辟易しました。
例えば音楽では、この映画では感動的か緊張的な音楽がほぼ常に鳴っている印象です。回想から現代パートに戻っても延々と「感動しろ!」と言わんばかりに鳴り響いている。ハッキリ言って無粋だと思います。
例えば過剰な説明としては次の場面。宮部の初登場シーン、次々と空母の着艦に失敗する戦闘機が映り、整備士たちが「ハッハッハッハ!」とまるで万歳三唱のように笑う。私はコントを見ていたのでしょうか。誰かが宮部の悪口を言う時は本人や上官が聞こえる位置で態々言う。そんなことしたら処分モノじゃないの?
そもそも物語の文法が出来ていない。末期ガンに犯された井崎さんが、横須賀に寄港した際に宮部が家へ帰っていることを語り回想シーンに移りますが、宮部が家でどう過ごしたのかを勿論井崎さんは知る由もない。でも普通に詳細に描いてしまっている。この映画では戦争体験をした語り部の回想が繰り返されているのに非常に不自然です。恐らく「馬鹿な観客はそんな細かいことに気がつかない」と思っているか、作り手が単に馬鹿かどちらかでしょう。他にも色々ありますがとても書ききれない。
そういうことで観ている間色々残念というか悲しい気持ちにさせられましたが、何より悲しかったのが劇場内の反応です。終盤ではかなりの数の観客がすすり泣きしていました。つまり山崎貴の演出は余すところなく観客に伝わっており、その演出に白けている私の方がマイノリティなのだ。権威的で言いたくはないけれど、昔の名画というのは観客に読み解かせる余白をもっと残していたと思う。私にとっては過去の名画こそ失われた幻の零戦と言うしかありません。
ああ、戦闘シーンは良かったですよ。それだけ。