1.《ネタバレ》 よくある話とはいえ、こういう荒唐無稽な設定を普通に受け入れる現代人は思考が柔軟なものだと感心する。そもそも題名からしてチープで安易だが(「恋する…」「世界で一番…」の両方)、中身の恋愛ドラマの方も納得がいくものではなく、ヒロインを幸せにするために男2人を使い捨てにしておいて、“だって死んじゃったんだからしょうがないじゃん”的に決着をつけたようなのは男の立場として悲しい。一方ではヒロインが乗り換えた先の男が、口は達者だがどことなく胡散臭い顔で素直に祝福してやる気にならないのも問題である。
ところで、自分にとっては食い物など①嫌いなもの、②まずいもの、③その他の3種類しかないので、劇中の料理がどれだけ美味そうなのかも実のところわからない。しかしこの映画では、劇中の武と瑠璃に“作る人”と“食べる人”の立場をきっちり代表させることで、人間にとっての料理(食料ではなく)の意義を端的に表現しようとしていることくらいはわかる。瑠璃が料理を食べるときのデレっとした嬉しそうな表情は中学生時代も現在も共通であり、またこの顔を見ることが武にとっても何よりの喜びだったわけで、そこには料理が仲立ちになって“作る人”と“食べる人”の両方が幸せになる関係が成り立っていたが、これは現実に料理に携わる人々の理想とするところではないかと思われる。それで成人後の武はシェフになり、また瑠璃もグルメ情報誌の編集者になったということなら、この関係が互いの資質を高め合って自己実現にもつながっていたということだろう。
味オンチの自分はそういう幸せな関係から疎外されていて不幸だとは思うものの、世の中に幸せな人が多いのはいいことだし、この映画を見て触発される人が多ければわが国の食文化の向上にもつながるのでは、と他人事ながら思わなくもない。武(佑樹)が南紀白浜の海岸で即興的に作った料理をその辺の皆さんにふるまうのを見ていると、料理人というのはみんなに幸せをふりまく人、というように感じられて、自分には利害関係がないながらも変に感動的だった。
まあ世間的にはあまり評判がよくない映画のようだが、それも料理に関わる上記の関係と恋愛感情をあえて混同させないようにしたことで、恋愛ドラマとしては捉えにくくなった面もあってのことと考えられる。そのため自分としては、まずは料理映画という面から一定の評価をしておきたい。