2.《ネタバレ》 東野圭吾のミステリーと聞いてたもので見る前の印象と内容が全く一致せず。
こんな内容だと知ってたら見なかったな。役者さんの好演もあって本格的に作ってるとは思うが
いかんせん所々安っぽいドラマが入るのが残念。例えばあの状況で社長に否定的な事を言ったり
陰口の質だったり、川栄李奈が彼氏を帰せとか急に人間性を無視し作り物臭くて醒めるポイントがある。
この映画の一番の山場は篠原涼子が娘を刺そうとするシーンだろうと思うが
脳死という何を持って娘の死言えるのか散々葛藤しているであろう母親が
警察に決めて貰いましょうなどと司法や他人任せに自分の娘をあやめようとするなど言う事が
あり得るとは到底思えず、全く感情移入できない。そもそも脳死判定されて居ないのだから
法律上は生きており刺殺してしまったら殺人罪に問われる事は試すまでも無く本人が一番解っている事だろうと。
脳死という人々が直視できないオブラートに包んだお涙頂戴物にしかみえず。
水難事故の娘の事を人魚とファンタジックに例えるセンスも何だかなぁ。自分の心が荒んでいるのかな。
脳死についてはザック・ダンラップのように脳死判定後に戻った上に記憶まで残した事例もある。
佳那晃子のように医師から「脳死・植物状態」と診断(判定ではない)されたが回復した例もある。
所詮人が判定するのだから100%確実と誰が言い切れよう。
また近年に置いてはiPS細胞研究から神経再生、引いては脳の再生の可能性すら出て来た世の中に置いては
例えどんなに可能性が低かろうが、医師ではなく遺族が可能性を感じられる状況なら
面倒を見る事が可能な間は可能性にかけると言う考えや選択があって当然であり
故にその環境に恵まれた篠原涼子の行動は当然の事としか思えず。
しかしこの物語は娘は絶対に回復しない事が前提でかつ篠原涼子の頭がおかしいサイコスリラーかのような
描かれ方はどうなのだろう。見ようによっては、今似たような状況で頑張って居る親族達が居るとするなら
その人たちに対して随分と失礼な気もするのだが。
その当たりでこの映画の製作意図との自分の考えに温度差があるのかもしれない。