1.《ネタバレ》 ぺ・ドゥナは素晴らしい 空気人形からひとへと徐々に姿を変化させていくとき
彼女が触れる物干し竿に滴る雨水のように透明で潤いに満ちている
李屏賓は侯孝賢の映画で切り取るような美しさをワンショット毎に魅せるのだし
その中で動く彼女は躍動的である
彼女は輝きを放ち続けるのだが その反面 呟き続けるこころの虚無は実につまらない
空気が入っただけの人形があるときこころを持ってしまう
肉体を保持することなく精神だけを得るのだ
しかしそのこころは真のこころではなく ひとの真似ごとであり
本当のこころとは何かと探し求める話であるようで そうではない
彼女は肉体を得ることのできない虚無であり
周囲は肉体を満足に使いこなせない虚無である
それらを同列に挙げて社会の虚無を描くということが無理なのだ
まずこころが空っぽなひとなどいない 空っぽということは何も無いということだ
ひとは虚無というこころを持って生きている
だからこそ辛いのだし乗り越えるのが困難なのだ
無いものを越えるなんて誰にでも出来る
虚無という過酷さはてっぺんが見えないほどに聳え立っているのだ
であるから彼女が本当のこころを持ちたいと追い求めれば追い求めるほど
ひとの本当のこころというのは実際は大概が虚無である
という過酷さに堕ちていかなければならない
しかし 恋をしました 恋をすることは辛いことです
などという社会性の稀薄な問題などさっぱり過酷ではない
社会の虚無とは恋心などという甘ったるい幻想とは比較にならないほど過酷だ
その過酷さに直面しなければ虚無の向う側は現れない
どのひともそれぞれあーだこーだと事情を抱えていてるのは当たり前であるし
吉野弘の「生命は」という詩による人類愛を讃えるような青臭さ
つまり虚無を他者に満たしてもらおうという甘ったれた結末
それでいいのかという疑問しか沸かない
そんなことまったく興味がないし 2時間近く椅子に座って
わざわざ映画なんかから教えてもらうことではない
この映画では是枝監督が今まで描いたような人間の悪さという部分が欠落している
その人間の悪さというのは当たり前のものなのにも関わらず
それをわざわざ計算高く緻密に用意周到に描くから嫌いだったのだが
いざ毒を抜いたら随分優しくなってしまったなという印象だった