1.全編に漂う「恨みがましさ」に、若干辟易させられた。たしかに個人の踏ん張りではどうしようもない生まれながらの格差はこの国にあり、それもより深く広がりつつあるけれど、それに対する苛立ちがただ「恨みがましさ」だけに収斂していってしまっている。「連帯」とか「革命」とかの言葉はもう輝きを失っているが、それに代わるものを模索する努力を放棄し、ただ「恨みがましさ」に寄りかかってしまっている。映画はその若者を批判的に見ているようでもなく、けっきょく「出口なし」の状況の悲劇性に陶酔してしまったのではないか。ただ「辟易」の度合いを「若干」としたのは、こちらに今の若者の閉塞状況を分かってないかもという弱みがあるからで、もうここまで追い詰められている可能性もときに感じられるからだ。網走に行けばなにか次が見えるかも、という出たとこ勝負のロードムービーという設定に、いまの若者の切羽詰ったとこが反映されていたのかも知れない。なにも若者に限ることでもあるまい。原発労働者の境遇は黒木和雄の『原子力戦争』のころとまったく変わっていないことに(さらに使い捨てシステムが合理的に進化しているか)最近驚かされたばかりである。映画の流れとしては、カヨちゃんとの再会の場や、先輩との対決にもうちょっと段取りがほしい。期待した安藤サクラの怪演も、ふわふわと登場するシーンではワクワクさせられたが、あとはまあ無難な演技といった線。