1.窓の明かりや、室内ランプ、蝋燭、街頭を光源として点在させる審美的画面の連続に、
採決の瞬間にはおそらく溢れる光が主人公を包むのだろうと予想がつくし、
これらの小さな炎は例によってどこかで人物と重なり合うだろうと
思いながら見ていると、
臨終シーンのダニエル・D=ルイスに重なった蝋燭の炎が大きくオーヴァーラップして
演説シーンの群衆に繋がり、誰でもがそれとわかる意味性を帯びるという具合だ。
強められたメッセージとたちの悪い審美主義が画面をスタティックに固定し、
中心化させている。
議場を出ていくトミー・L・ジョーンズや、
血の滴り落ちる荷車を追うジョセフ・G=レヴィットの歩み、
あるいは様々なニュアンスを含む「帽子を取る」というアクションの反復が
時折その固定化を阻む動きを見せるが、
総体としてはダイアログと顔芸に重きを置くという意味で、テレビ的である。
そして、困ったことにその権謀術策の駆け引き自体に映画的スリルを欠いており、
ドラマは平板だ。
主人公の来歴についてもフラッシュバック等を用いず現在進行形を貫く試みは潔いが。