1.《ネタバレ》 直訳のとおり、言葉が手話の型・ポージングによって具体化される。映画版としては当然その動き=アクションが重視されることになるだろう。
実際に、発話のシーンはバストショットで対話にあわせてリップシンクロの動画を施すというような安易な手法は極力避け、
表情以外の部位や空ショット的なカットを織り交ぜたり、POVショットを多用したり、フレーム・イン・カメラフレームを利用したりと
画面に変化を持たせている。
手話の身振りもショットサイズやアングルに工夫を凝らしながらアニメーションとして再現することで描画ならではのささやかな誇張が表現できている。
そうした手話の模写自体は実に丹念で力が入っているのだが、いかんせんヒロインの像が弱いように思う。
実際の手話にしても過去の実写映画の手話シーンにしても、観るものを感動させるのは表情や全身の身振りによるその表現力の豊かさだ。
例えば『風の歌が聴きたい』での中江有里の感情豊かな表情とそのアクションを思い起こしたい。
その映画的アクションと比べると、こちらは文字通り小手先の模写に見えてしまう。
ヒロインの人物の掘り下げがもう少しでも欲しいところである。
別に御大層なことではなく、食事でも家の手伝いでも難聴者ならではのちょっとした日常動作の点描の中から人柄を浮かび上がらせるのが演出だろう。
ベッドに飛び込むばかりでは描写が貧弱に過ぎる。