1.《ネタバレ》 例えば『寝ても覚めても』という映画なんかは、私も初見時はかなり好い作品だと思いましたし、その頃は世評も全然悪くなかったと記憶しています。しかし最近は(とゆーか例の「事件」以降は)各所で木っ端微塵に酷評されていて、でもソレって強ち間違ったコトでもないよなあ…なんて思ったりもね。役者とゆーのはある面では自分の「色」を消し、ソコに作品で必要なキャラクターを纏ってゆくものだと思いますが、その一方で消し様が無い「個性」とゆーのを備えている…てのがそもそも存在価値なのだと思います。ソレがふと崩れてしまったならば、当然観るひとに与えるトータルの印象(=演技者としての端的なクオリティ)は変化・劣化せざるを得ない…というコトでしかないのかな、と。
その意味でゆーと今作は、実質主役なのがコレも「例の」伊藤健太郎だ、てのが(悪い意味での)ポイントになってしまうかなあ…と思いましたよね。そもそも彼が演じる近藤というキャラは、率直に言って(特に前半は)相当に印象の芳しくない、正直気持ちの悪い男のコだ、ということなのですよ。その部分を「純朴・純粋」とかゆう別の属性に読み替えられるか…という段になって、でも演じてるの「あの」伊藤健太郎だよ?となってしまう様にどーしたって感じるのですよね。例の件で彼の人間性が露になった後では、どーにもソコに「つくりもの感」がプンプン臭い立つとゆーか、何つーか表現として上っ面で浅薄な様にも見えてくる、とゆーか。コレも率直に本作は、最初は何だかよく分からないケドも次第に何となく朧げな「カタチ」が見えてくる…という類のごく繊細で奥ゆかしい作品だと思うのですよ。ソコにのっけから差し挿まれるこの「疑念」とゆーのが、個人的にはだいぶ致命的にも思えますのですよね。
小寺さん役の工藤遥ちゃんに関しては相当に頑張ってたと思いますよ(ホントにほぼ「のぼってる」だけでしたケド)。彼女のボルダリングのシーンはたぶん完全にガチでしたね。コレがスポーツ的にどの程度までスゴいモノなのかは私には分からんのですケド、全くスゴくないというモノでもないのは何となく分かる…とゆーかね。そして、少なくともその部分は決して「紛いもの」ではないのだろう、ともね。