3.《ネタバレ》 伊丹監督らしくない伊丹映画でした。監督が今まで積み重ねてきた方程式を壊した作品かもしれません。
主役が佐伯日菜子に渡部篤郎と、まだ俳優経験の浅い若い2人で、今までの伊丹作品の常連だったベテラン山崎努も宮本信子も、一歩引いた立ち位置で作品に参加しています。
同級生であり義弟である大江健三郎の小説を映画化したものなので、もしかしたら、原作の良さを引き出せるように、監督自身の持ち味を出さないように配慮して映画化したのかもしれません。それくらい伊丹作品っぽくなく、大江作品の映画化って感じです。
とはいえ私は大江さんの本は読んだことないので、イメージも何もありませんが。どこまでが創作か解りませんが、マーちゃんとイーヨーが大江さんの実の子供たちだと思うと、扱っているテーマが障害者の性だったり、性暴力だったりと、中々赤裸々な内容だったと思います。
最初は、障害者への差別を交えつつ、両親不在の兄妹の周りで起こる、ちょっと不思議な事件を、ゆるーく解決していくほのぼの系ミステリーだと思いました。家の門に置かれる水の瓶と、それを捨てずに貯めてるマーちゃんのシュールさ。少女を襲う渡辺哲はショックだったけど、ちょっと新感覚な謎解きで面白かったです。そう、後の『アメリ』のような期待感がありました。
悪い男とフェードアウトするお天気お姉さん。「どうしてもボランティアになっちゃう」は、残酷だけど飾らない本音ですね。このお姉さんがイーヨーを「世界で一番魂の綺麗な人」と表現しますが…友人がよく『野良猫って目付き悪いけど、飼い猫にすると徐々にフニャンって目付きになるんだよ』と言います。餌の心配が無くなると、猫も穏やかな顔になるんですね。
イーヨーはお金持ちの両親と面倒見の良い優しい妹に囲まれ、時間に縛られることなく、作曲とか水泳とか自由に好きなことをして生きていけます。
時たま他人から残酷な言葉を掛けられるにしても、一般家庭で暮らす障害者は、イーヨーのように手厚いフォローをしてくれる人がいません。これだけ恵まれた環境であれば、世界一魂が綺麗になっても不思議では無いのかもしれません。
さて、中盤から新井君の小説による風評被害と彼の本性の話になり、序盤とは作品の色がガラッと変わります。小説の襲われる女性があまりに残酷。アメリ風作品は普通の生々しいサスペンスになります。
マーちゃんも可哀想だけど、そこに至る経緯が、アレ?って感じ。団藤さんに暴力ふるった後、何事もなかったかのようにプールに来てる新井は変だし、それ知ってて水泳習いに行く兄妹も変。そしてマーちゃんなぜ新井の部屋に入ってしまう?どうしてその事件、絵に描いて残す?というか、話をこっちの方向に持っていくなら、序盤のイーヨーの性問題とか必要だったのかな…
う~ん…あ、あとポーランド大使館員への執拗なビラ配りに結構な時間を割くとか、色んな意味で私とは住む世界が違うなぁって、思いました。