1.《ネタバレ》 ジョーダンいわく「哲学的思考への恐るべき無関心により、悩むことなく幾多の困難をかいくぐる」のがパトリックという性同一性障害者だ。「おお、なるほどう」とうなずく。そうそう、パトリックというのは、「この人生は〝冗談〟としか思えないので、〝真剣〟になど生きられない」が信条なのである。
その理由は、「破戒神父と小間使いがデキて生まれたのが自分」で、「母はバスケットに入れて自分を捨てた」であり、「なんで女の子の体に生まれなかったの」であり、よって「神様は〝冗談〟で自分をつくった」になるからである。「真剣になんて、生きられない」だ。よって題名も有り得ない場所で朝食なのだ。
が…個人的には、キリアン・マーフィー演じるパトリック(意地でもキトゥンなどと呼ぶものか)というのが、どうにも「正視しがたい」不快きわまりないキャラだったのだなあ。
「エグい」というのが、一番当たっていると思う。
「常にクネクネする」「常に上目遣い」「常に囁くように話す」「常に媚び全開」ってそらー、フツーの女は、そんなもんかい?ええっ?
濃すぎるのだ。過剰なのだ。何がって「女」があ。
そんでまた、キリアン・マーフィーの女装というのが…ビジュアル的に、キッツい。オカマ、NO。
私は「クライングゲーム」には感心したのだ。ジェイ・デビッドソンは女に見えなくとも美しい。見ているだけで、ありがたい気がする。
パトリック、それは、汚いオカマ(ああ、言っちゃった許して)。
それに私は、基本的に悩まないやつが好きじゃあない。冗談でしか生きられないやつは、脇ならまだいいが主役にしてほしくない。
あと…リーアムの破戒神父は、小間使いを孕ませて、そ知らぬ顔で20何年神父を続けているのはなんだ?神父だろ?
よって視聴後に果てしなくむなしい疲労感が…。「意地でもキトゥンなどと呼ぶものか(あんたの冗談にはつきあえない)」